ゆくらゆくら

久方ぶりに小説と呼べる小説を読んだ。多和田葉子の『地球にちりばめられて』。本屋で何かしらの引力を感じて手に取り、しかし購入には至らなかったのだが、後日どうにもあれを読まなければいけないのではという思いが募り、どうしようもなく読んだ。

絶賛の言葉で空間を埋め尽くしたいが、絶賛されて読みたくなる人間なんていない。褒め殺しとはよく言ったもので、傑作は腐りやすい。

寿司文学がある。多和田葉子は先輩である。この世に数少ない先輩だ。小説の数ほど先輩は少ない。己の道の先にたしかな先達の足跡があることが、これほど勇気づけられるものだと、そう素直に認められることが嬉しい。

寿司文学である。舞台は鮨屋。寿司を食べるとき、その美味しさを言葉にする必要がどれだけあるだろうか。言葉はどれほどのものを私たちの間に架けてくれるだろう。そうでなくても私たちは多くのものを共有しているというのに、隣にいるだけで。『地球にちりばめられて』の登場人物たちは、それでもなお、寿司を言葉にしようとする。黙っていることは簡単だし、それで多くの物事は通り過ぎていくにもかかわらず。

以上の内容は独自の解釈が入っているけど、このブログを多少なりとも面白いと思う人にとっては間違いなく読む価値があるはず。なんといってもユーモアがあるんだ。既刊の続編も楽しみです。知り合いならいつでも貸すので、どうぞよろしく。

地球にちりばめられて

地球にちりばめられて