瞑想

目を閉じると浮かんでくる塔がある。天高くそびえ立ち、近寄るものすべてを拒絶するあの塔。カフカには城に見えたというかの塔に、どうしてか近づこうと思ってしまった(『変身』と塔の関係は一目瞭然である、それは一貫して不可能性と不条理を巡る問いに我々を招いている)。しかしながら、塔に近づくためには迂回をしなければならない。今日は何らかのイベントのために塔の近くの道路が閉鎖され、タクシーでも全く辿り着けない状態になっていたが、事の本質はそこにはない。我々が塔に到着した(と思った)のが16時06分であり、今日の営業時間が16時までだったことも関係ない。それはあくまで結果であって、営業時間のために塔に入れなかったわけではないのだ。
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問題なのは、塔を覆うように散布されるロール寿司の雲である。外国において握りではなくロール寿司が広まっているのは、それが散布しやすいからだということを忘れてはいけない。握りは当然ながら寿司を寿司のうちに封じ込め、その内部での調和を尊ぶ(日本の巻物にしても方向性は変わらない)。こうした日本の密閉性とロール寿司の開放性の相違点は、カリフォルニアロールを醤油に浸した際のとびっこの崩れ方にすでに現れている。醤油をつければ瞬時にその中に融解していくとびっこたち。明らかにそれらは、人の口へと向けられたものではない。黒ずんだとびっこで醤油皿が埋め尽くされる光景を想像していただきたい。もちろんその醤油とびっこを飲み干すこともできないことはない。しかし、それほど非人道的な待遇があるだろうか?こうして我々は突如として、自分たちが虫の立場にいることを理解する。もしそれが羽虫であるならば、雲をくぐり抜けて目指すのもいいだろう。そうして寿司を食べながらその短い生を終える。