八ヶ岳殺人事件

ついに八ヶ岳に来た。念願のボードゲーム合宿である。連休と有給をフルに活用した3泊4日のサークル旅行。いい仲間たちに恵まれたものだ。出発の二日前、八ヶ岳実行委員会を名乗るアドレスから、八ヶ岳旅行自体をゲームにしようというお誘いが来た。知らないアドレスがだが、大方誰かが新しく作ったんだろう。最近では人数が増えすぎて、誰がどこで何を企画しているのかわからない。これもそういう自分が関与していない企画のはずだ。企画の内容は、旅行に演劇要素を持ち込もうというもの。我々がたまにやるTRPGのように、キャラクターを演じて楽しんでみないか?という提案だった。TRPGをやる予定はなかったので、旅行全体をTRPG化してしまおうということか。そんなにうまくいくのか疑問だが、とりあえず初日くらいはやってみてもいいかもしれない。メールの続きを見ると、自分の設定が書いてあった。

 

寿司マフィア:寿司が好き。黒幕を知っているのでディクシットをやろうと提案する。

 

なるほど。寿司マフィアというのは自分がインターネットで使っている名前だ。今回はそのキャラで登場しろということなのかな。ただ二つ目の設定は気になる。黒幕担当のキャラクターがいるのか。そしてなんでディクシットをやるんだ。よくわからないが、なんにせよこれくらいなら乗ってやってもいい。但し書きに「設定を他人に口外してはならない、これを破ったプレイヤーには重大な罰を与える」と書かれているが、たぶんそうめん抜きとかだろう。揖保乃糸が食べられなくなるだけだ。

宿泊するのは昔旅館だったものを改装した別荘で、13人という大所帯でも個室に困らない点は助かった。皆は昨夜のうちに車で到着していたが、自分はあずさで遅れて来たので迎えに来てもらった。ちょうど昼どきだったので、食堂で合流する。そういえば設定には「全員が初対面として行動する」と書いてあったから、改まって挨拶でもしておこう。

「どうも、寿司マフィアです、好きな言葉は『寿司は逃げない』」

「寿司は生ものだから整腸剤を飲んだ方がいいよ、おれはN」

「こんにちは、無明堂(むみょうどう)です。寿司もまた悟りへの道」

「こんにちはー、茅野早海(かやのはやみ)です」

なんだこのスパイダーマンのスーツを着込んでいる女は。そういう設定にしても怖い。

「蝉丸です、百人一首で好きなのは源実朝

「ぁ…こん…こんに……ぅ……」

子犬のように震えている。

「あ、彼はレイシくん!初対面だから怖くて震えちゃってるみたいで。わたしは米子(よなご)!楽しもうね!」

「人が怖い糸冬(いとふゆ)です、よろしくお願いいたします」

「東京ドームでビールを売ってるルンバだよ!!!!!!仕事が!!!!!つらい!!!!!!」

「植物学者の倉知です、ミステリ作家の倉知とは親戚でもなんでもありませんけどね」

「呉伊太郎(くれ いたろう)です、ごいたをご存知ですか?」

「スライムが好きな山之上粘(やまのうえねばり)です、よろしく」

「ペルソナシリーズがあってよかった、神取です」

いい加減にしろ。こいつらのことは知っているが、いきなり色々言われても何も覚えられない。記憶に残った設定はスパイダーマンだけだ。いやあれは設定なのか?彼女はアメコミ好きだから単に趣味で着てきたのかもしれない。まあいいや、自分の設定を言わなければいいんだから適当にやろう。

カレーを平らげると、本格的にボードゲームに取り組んだ。時間なんてあっという間に過ぎる。アグリコラという重ゲーによって疲弊したころには、すでに日が落ちていた。晩御飯は揖保乃糸。誰も設定について口を滑らせていないので、罰ゲームはなしだ。まあ、この罰ゲームは自分が考えてるだけで本当はなにかわからないけど。何人かは夜中までプレイし続けていたが、アグリコラで頭痛がしてきたので明日に備えて寝ることにする。明日はもうちょっと軽いやつをやろう。

翌日の天気は最悪そのもので、秋にもかかわらず豪雪が吹き荒れている。ここは札幌か?山の天気は恐ろしい。なんにしてもあと二泊はするのだから、その間には止むだろう。というか止んでくれないと困る。八ヶ岳観光はあきらめて、せっせと室内遊戯に勤しむとしよう。しかし設定というのもあんまり意味がないな、昨日は皆ちゃんと名前をキャラクターのもので呼んでいたけど。

「誰か来て!!!!!!!!!!!」

このでかい声は……ルンバか。虫でも出たんだろうか。虫は怖い。まだ寝ておこう。だがしばらくすると、強いノックによって起きざるをえなくなる。

「生きてますか!?」

「無明堂さんか、ルンバが虫にでも刺されたの?」

「いえルンバは無事です……ですが、ごは…米子さんがひどいことに。とにかく来てください」

なぜか外に連れ出されたが、そのわけはすぐにわかった。細長いえんとつの頂上で、突き刺さるようにして米子さんが血を流している。吹雪で見えにくいがあれはたしかに米子さんのはずだ。背中に見えているお米パーカーがそれを物語っている。

「ひとまず食堂に集まりましょう、えんとつに登るのは危険ですし、今はどうしようもありません」

食堂では誰もが暗い表情をしていた。昼ごはんのカレーに手をつける者も少ない。なんなんだこの状況は。苛立ちから思ってもいない言葉が出てきてしまう。

スパイダーマンならえんとつにも登れるんじゃないか?」

「どうしてそういうこと言うの、設定に書いてあったらわたしが人を殺すとでも?」

「やはり人は怖い……でも、ひとまず警察に連絡しないと」

「整腸剤を取りに行くついでに見て来たんですが、電話線もネット回線も切られているみたいです」

「まるでクローズドサークル倉知淳のそういう作品は星降り山荘だっけな」

いまだに設定にこだわり続ける気が知れない。なんにせよここで話していてもストレスがたまるだけだ。レイシなんて隅っこでがくがく震えてる。

「おれは部屋に戻らせてもらう」

立ち上がったその時、片隅からかぼそい声がした。

「ぁ......せって……設定で……ぼ、ぼくが……」

「設定について話すと怒られるらしいよ、ストレスが強そうだからこの整腸剤をあげるよ」

「いいです……その…ぼくが…設定に書いてあって……殺人者の役で……」

本当に設定通りに殺人を犯すやつがいるのか?恐怖よりも理解不可能さが先に襲ってきた。怯えているだけの子犬だと思っていたら狂犬だったのか。こいつは部屋に閉じ込めるしかない。皆動転していたが、ひとまず隔離に成功した。

「あいつを隔離したまま、ひとまず状況の回復を待とう。そのうち雪も止むだろう。もうおれは耐えられない、みんなも各自休んでくれ」

誰もうなずかないが、構わず部屋に戻った。なにも考えたくない。ぼんやりと意識が落ちていった。

翌日。食堂に行くとレイシにカレーを持っていくかどうかで議論が起きていた。が、最終的には自分たちも殺人を犯してはならないという結論になった。万が一の反撃を避けるため、皆で運びに行く。扉の向こうではレイシが死んでいた。ナイフか包丁のようなもので刺された跡がある。呉の嗚咽が響く。誰もがパニックに陥り、てんでばらばらに逃げ去っていく。その場に残ったのは無明堂と自分だけ。

「なぜ彼は死んだと思う」

「この馬鹿げた茶番を本気で信じるなら、設定について触れたから」

「同意見だ。無明堂、お前を信じて言うが、おれは黒幕を知っている。なにも言わずに信じてくれ。ディクシットをしよう」

「ディクシット?この緊急事態にゲームを?」

「信じてくれ」

「何もわからないが、気晴らしになるかもしれないですし、もう少し落ち着いたらやってみてもいいですよ。何か考えがあることでしょうし」

「こんな時こそ、お互いの気持ちを理解することが必要なはずだ、ディクシットはそういうゲームだろ?」

内心で安堵する。設定をこなせば最低限死ななくて済みそうだ。犯人を探すなんて冒険は自分の身の安全を確保してからでなきゃできないからな。もちろん黒幕なんて知らない。それについてはのらりくらりとやるしかないだろう。いや、違うな。むしろ確実に生き延びるためには、黒幕を用意してやる必要がある。それは設定には書かれていないが、偽の黒幕を示すことが出来れば真の黒幕の信用を得られるはずだ。やってやろう。やってやる。こんなところで死にたくない。

3日目の昼、食事の後に意を決して切り出した。ディクシットをなぜやるのか分からないという声は多かったが、気持ちを切り替えようと無明堂や山之上さんが賛同してくれたおかげか、開催にこぎつけた。蝉丸や糸冬、そして神取さんなどは、このディクシットに何かしらの意図がありそうだと鋭い眼光を送ってくる。おそらく寿司マフィアが何かを知っており、ゲームの規約に触れない範囲でそれを伝えようとしていると考えているのだろう。

「じゃあ発案者が親でやろう」

ディクシットが始まる。ディクシットは配られたカードのうち、親が指定するキーワードに該当しそうなカードを出し、シャッフルした後にそれらを並べ、親のカードを当てるゲームだ。実にいいコミュニケーションゲームなのだが、特別な意味を読み取ろうとしている奴らの前では、そんな勝利はどうでもいい。

「では寿司マフィア行きます、キーワードは『潜む』!」

選択したカードは、うねうねと生い茂る茨がナイフを操っているもの。我ながら天才的なカード運だ。彼らもこのゲームの意図を自分たちに都合よく理解しているからだろうが、「潜む」に該当しそうなカードはルールに反して出てこない。彼らが知りたいのは口に出すことはできない親のメッセージだからだ。ゲームを楽しむことなどどうでもいいわけだ。そして正解が告げられる。ここからが本当の勝負の始まりだ。

「茨がナイフを持っている……これが何らかのメッセージだとすると、黒幕の暗示でしょうか?もちろん寿司マフィアさんに直接聞くことはできませんが」

ありがとう神取。そのまま誤読を続けてくれ。

「そんなメッセージが込められてるゲームだったのかー、ストレスがたまりすぎて整腸剤を取ってきたいけど、今はそうもいかなそうだね。もしその通りだとしたら黒幕は倉知さんになるのかな?」

「植物学者というだけで黒幕扱いですか、ディクシットってそんなにストレートなゲームでしたか?」

冷静に反論を続ける倉知の言うことは誰も聞かず、ただただ解放されたい彼らは倉知を隔離した。大成功だ。これで真の黒幕も満足だろう。真の黒幕が倉知だった時には、それはそれでいい。ようやく枕を高くして眠ることができる。あとは雪が止むのを待つだけだ。

だがいつになっても雪は止まらなかった。そればかりか、翌日には無明堂が死に、黒幕をでっちあげたことがバレたために自分も殺されかけた。一瞬の隙を見計らい、「タヌキが呼んでいる!」と叫んで外に飛び出したはいいが、雪山を踏破することはできなかった。数日して息も絶え絶えの状態で戻ってきたはいいものの、もう足が動かない。意識を失う直前に見えたのは、窓際でこちらを眺めて微笑む血まみれの米子だった。