点猫画法

金色の毛虫はどこにいるのか。

2022年夏以降の風景。

 

<寝室>

・旧マットレスのまくら脇:最も幸せな時間。同じまくらの共有。寝返りを打つと怒られる場合あり。

・旧マットレスの足元(脇あるいは毛布の上):面倒な接触を避けられている時。毛布の上で寝るのはきわめてレアケース。

・旧マットレスのまくら上:この場合人間は眠ることができない。スクウォット猫。

・新ベッドの王国:天皇賞タオル×2の上が直轄領。ただし紫の大きなタオルは洗ったら評価が下がった。後から敷いた毛布も領土ではあった。人間が入ってくると微妙な顔をする。

・育児用ワゴンの下段:2回くらい入った。おそらくひんやりしていてよかったのだと思う。寝返りが金属音でけっこう響いて(人間が)起きた。

・押入れ:探検スポットその1。上にいる季節は2-3日に1回くらいは入りたがったような気がする。右奥にあるダンボール?に潜伏した事件。

・加湿器および本棚の裏:探検スポットその2。ダンボールが積んであった時は意味もなく登ったりしていた。単なる怠惰の産物だがアスレチックにはなっていただろうか。

・旧緑のスツール:パリの美術館に展示されてもおかしくない猫のオブジェになった出来事。これを踏み台にして机に登ったこともあった。

・黒椅子の背後:遺言をなんとなく守り、作業していると監督しに来ることがあった。構ってほしかったのかもしれない。

・粗大ごみとして捨てた謎の台(プリンター置き場)の裏:ごくまれに台の背後にとどまることがあったが、掃除されていなくて汚いので早く出るように追い立てていた。意味もなくここを周回するパドックをやっていることもあった。置いてあったプチプチを踏むのが楽しかったのかもしれない。

 

<妻の部屋>

・デスクチェアの上:労働者の働きを監視している。監督官の出勤は任意。

・枕(めりこみ):しばしば殴ってくる

・ベッドの上:まろりさんがいた時は二匹同時にいることはあんまりなかった気もする。それと同じで寝てるところに混ざりに行くと微妙な顔をされた。

 

<シアタールーム>

・新ソファ(手前側/奥側):最期を迎えることになった、団欒の地。先に人間が寝ていると怒られる。猫が奥なら基本的にはOKだが、面倒なのかあまり奥にはいかない。団欒など知らぬと暮らしてきて、それでも晩年には寄り添ってくれてありがとう。

・旧赤ソファ(背もたれ/上/下):背の部分にジャンプして爪を研いでいた頃は元気だったんだなあと今になって思う。26年3月まで赤いソファはお気に入りスポットだった。上で寝ることもできるし、下で人間から隠れることもできる。夏冬一度ずつ、衰弱してしまってここに隠れたことがあった。2回危篤を乗り切ったのだとすれば、最後の1年くらいは奇跡の時間だったと言えるのかもしれない。ソファ下に敷いていた紫の毛布には毛がびっしり。

・あったか台:冬場の定番だったが、25-26年の冬にはあまり乗らなかった。二匹で狭いところを寄り添って(奪い合って?)いた思い出。

・ヨギボー:1度だけあったか台から乗り移ってきたことがあったが、足元が不安定なので慎重に見極めてからくつろいでいた。老猫になっても好奇心の尽きない猫だった。

・キャンプ用ミニテーブルの上:歌舞伎揚的な袋が置いてあると執拗に舐めた。

・窓際の本棚の手前:深夜、積みあがった本とラミネートフィルムの上に鎮座していることがあった。あれはなんだったんだろう。

・窓際:すぐに飽きた趣味としての日向ぼっこ

・じゅうたんの上:人間が横になっていると顔を近づけに来てくれる

・体重計:自分で乗りに来たことが1度だけあった

・リクライニングチェア:毛布の上でひと眠り

・リクライニングチェアの足置き:二匹で取り合い暖を取る

・洗濯かご:姉さんに倣って少しだけ入ってみるが、落ち着かない

 

<居間>

・まろりさんの入っている箱/いる場所:ストーカーも度が過ぎると殴られる

・膝の上:夏場は来ない。こたつ毛布を間に挟むことでちょうどよい猫用布団が完成する。人間は動いてはいけない。腰痛には極めてよろしくないが、人間は望んで布団となる。

・テーブルの上:妻と私のあいだを行ったり来たり。あるいはテーブルを中心としてぐるぐる回ってみたり。晩ご飯前に鎮座している場合にはどいていただく必要がある。ご飯の白い皿を見せると降りてくることもある。かつぶしで釣れた頃が懐かしい。

・窓際のテント:人間から隠れられるメリットがある。私の方からだと見えないが、動きによってテントの布が動いて面白かった。嫌なことがあると逃げ込む場所。

・テーブル脇:こたつ毛布の端を布団にして寝ていることもよくあった。絶対快適ではないと思うが。窓側はもちろん、キッチン側の机と机の狭間に入っていることも。天井があることが大事なのかも。

・妻の座椅子の裏:テントがない時代の避難場所。疑似的な屋根。動くと怒られる。

・こたつの中:まろりに比べると頻度は低かった。実際に降りなくても中に興味を示して覗き込むことも。

・押入れ:2階の寝室と比べると探検度は低め。あまりに帰宅が遅いとここに隠れて姿が見えない罰を与える。

・コート掛けの下:病院帰りで人間から最大限距離を取りたい時の居場所。でも同じ部屋にはいてくれる。

・MUATSUクッション:腰痛のために導入したクッションがお気に入り。追加で導入したオレンジの腰当て三角クッションを枕にぐっすりと。

・妻の座椅子の上:人間の椅子は猫のもの。もう一つ空いているんだけどね。

 

<キッチン>

・IHコンロ:深夜に物音がして見に行くと飛び乗っていることがあったが、あの頃はまだ若かったんだねえ

・冷蔵庫前:地面近くの換気口から何を見つめていたのだろう

・はしたなスポット:晩年に見出されたかつぶし要求スポット。水やかつぶしの皿を乗せる台に入り込むという身も蓋もない技法。

・テント:短い期間、台所にテントを置いていたこともあった。少し入った。

・自動給水機:晩年はよく自動給水機で水を飲んでいたが、ある時から舌磨きに精を出していた。人間の仕事を監視する際の拠点でもある。

 

<奥の部屋>

・本棚マンション:本棚に空きスロットがあった頃、ちょっとだけ住んでいた。後にテントに代替わり。

・じゅうたんの上:人間が横になっていると近くに来てくれる。唯一腕まくらに成功したのがここ。ヨギボー到着時に乗せた場所でもある。トイレに行くときにはじゅうたんがかすかに敷かれていない端を通ることが多かった。

 

<廊下>

・扉と扉の間の三角州(二階):夏場の寝床。起き抜けに開けたらぶつけて怒られた記憶。

・階段の手前(二階):カリカリ要求スポット。シアタールームから出る時に先んじて回り込まれることあり。

・トイレ前(一階):帰宅時、手を洗っていると「おい、何か忘れてるんじゃないのか!」と注意するためにここまでついてくる。

・玄関前:お出迎えスポットであり、深夜のたそがれスポット。大きなダンボールがあると登って寝そべる。帰宅時に待っていてくれた思い出がたくさんある。晩年はやっぱりしんどかったのか、室内で寝ていることが多かった。

 

<ゲロ部屋>

・名前が示すほどにはいなかったような気もする。まろんがダンボールに入って捜索した日の思い出が鮮明。余談だが、クリスマスツリーのダンボールを開けると二匹とも入ろうとしていた。

 

<ベランダ>

ほとんど最初の夏しか出ていた記憶がない。お姉さん猫に倣って出ていただけなのか、それとも体力的なものなのか。最初の夏の深夜、一緒にベランダに出て佇んだような記憶がある。

 

<庭>

来客対応の際、玄関を開け放していたら背後から猛ダッシュした金猫がいて、庭への扉の下の隙間に頭を突っ込んだ。幸い胴体が詰まって入りきらなかったので捕まえることに成功したが、心底ひやひやした。今となっては活力エピソードである。

 

<写真スタジオ>

持ち前の前進気勢を見せつけていた

 

<病院>

借りてきた猫のようにおとなしい。行きはキャリーから出ないが、帰りは我先にと潜り込む。暑さ寒さの中で負担をかけて申し訳なかった。なるべくキャリーを水平に運ぶ努力をしていたのでそれでなんとか許してほしい。いつも本当によくがんばりました。

 

<イメージの場所>

記憶、写真に映像、それから思い出話。

猫在論

人間が存在論に固執するようになったのは、きっと死を覚えておくためなのだろう。

「ない」ということが分からない、あるいは分からないふりをし続けた猫だった。ふりではなかったと、今ではそう信じたい。理解なんてものに振り回される人間ほど、猫は愚かではないから。

猫は自分の毛玉をせっせと巨大化させるけれど、いったい何を思っていたのだろうか。邪魔な毛を処理しているようにも見えるけれど、ムースで固めた頭髪と何が違うと言うのだろう。作者の意図はいざ知らず、それでも塊には魂が込められているように受け取ってしまう。

心なしか、ここ数日皮膚の調子が良い。受け容れがたい回復。アレルギーが示していた猫の強烈な存在感。きれいで、静かで、害のない部屋。そこにいてくれるのであれば、皮膚のかゆみなど大した問題ではなかった。トリスタン・ガルシアの「サンギーヌ」に出てくる美と傷を交換し合う男女のように、その程度のことで猫にしてあげられることがあるならば本望だった。腰痛に耐えつつ猫を膝に(それも時には2匹同時に!)乗せて午前中を浪費した日々の思い出よ。

いない、ということが全くもって受け容れられない。いや、受け容れる受け容れないという判断の問題ではなく、事実を受け止めるだけの準備ができていない。本当にこれから先ずっと、猫たちが現れることはないのだろうか。幽霊とは出るのではなく吹き込まれるものなのではないか。それでは動画とはいったい何をanimateするものなのか。

本当にいないのだろうか?

いないとはどういうことなのだろうか?

「いない」は「いる」と絶対的に切り離されているのだろうか?

否認なのだろうとは思えど、自分でも驚いたことに、火葬に向かう直前、最後の最後にかけた言葉は「元気でね」だった(何を言っているんだこいつは?と即座に独白した)。それを踏まえて今ほのかに確信するのは、理性はそれを容易には認めないけれども、時系列や因果を超えて「いる」と「いない」は地続きで、猫はいないがその「いる」は決して終わらず、何かが続いていくに違いないということだ。

なるほど、自分の中で生き続けるとはよく言ったものだが、しかしその「いる」は己の内部に閉ざされたものではないように感じる。もしこの一次的な錯誤が続いていくならば、それを私は祝福と呼びたいと思う。

芦毛猫博物館

猫がなくなった。芦毛の三毛。立派な猫格。きらきらの翠眼。警戒心が強くて、それでいて本当は人懐っこい。驚くほど短い発声法。労働基準監督。気遣いの心。と同時にすぐ殴ってくる不器用さ。殴る代わりにお手占い師として働いた日も。

享年18歳。私が引っ越してきた時には16歳頃だった。たった2年。しかしその2年間、私が最も一緒に時を過ごしたのはこの猫かもしれない。目が覚めると布団の脇で遠慮がちに佇んでいる(そのくらいではなかなか私は起きられない)。ご飯を出せと言うように何度もやってきて短く声をかけていくこともある。賢い猫なので、私が起きて歩き出すと一緒に廊下に出て後をついてくる。ご飯じゃない時にもついてきてしまうこともあるけれど、それはご愛嬌。

好き嫌いはある。カリカリをよく食べる。ウエットは少しだけ。もう一匹の猫が異常によく食べるので、だいたい半分以上食べられてしまうが、おかまいなしだ。時間が経つと戻ってきてまた食べ始める。私も食べるのが遅いので、気持ちはよくわかる。別に冷えてもいいしね。手から食べさせてもらうのが好きだけど、食べるのは下手。でも刺身だけは上手に食べていた。忘れられないのはクリスマス。ローストチキンを温めたらよい香りが充満し、皿の周りに二匹が殺到した。グレムリンのような変貌ぶり。これに限らず、食卓に上がろうとするのを阻止する日々だった。

すぐには懐かなかったが、法を理解しているとしか思えないタイミングで距離が縮まり、膝の上に乗るようになった。寒くなると布団の上にも。乗る時には短く声をかけていくのだが、心なしか布団に乗る時は語気が強かった。「遅い!」ということだろうか。コミュニケーションの取れる猫だった。声をかけるとレスポンスを返してくれた。

腰をやってからはストレッチに余念がない日々を送っているのだが、その後よく一緒に床に転がっていた。映画鑑賞をするときにもやってきた。最後に一緒に見たのは「ブラックベリー」だ。企業としての発展が親友たちの仲を引き裂くが、労働に力を入れなければそんなことはないのだ。机に向かう時間が長いと(というほど長くないのだが)よく「やめろ!」「猫といろ!」と声をかけてきた。

これからは心置きなく作業ができてしまう。もはや心の置き場がない。帰ってきてすぐに出迎えてくれることもない。ベランダで日光浴をすることもない。変なところに隠れて(カーテンの裏や本の箱の中)探し回ることもない。押入れを開けてあげることもない。顎を本でゴリゴリするのを見ることもない。クッションの上でごろりとすることもない。一緒に本を読むこともない。新しい絨毯を広げて追いかけっこすることもない。ダンボールに一番乗りで入ることもない。爪切りで胸に顔を埋めることもない。

でもそれらはたしかにあった。一緒にいることは間違いなく幸せだった。目に見える限りでは、苦しむ時間が短かったことだけが救いだ。元気な頃に写真館に行けたことも、最期をしっかりと看取れたことも。きっと灰色の毛はこの家が滅びるまで舞い続ける。まるでロシアによくある「家博物館」のようだ。

 

九頭龍高校籠球部

誕生日間近ということで、寿司屋に来た。二部制で、着くと少し待たされる。どうやら前半の客が遅れたせいで押しているらしい。人が店をあとにする姿を何度も見るのは珍しい。

店内に入ると酢の香りが立ち込める。第一部の残り香だろう。換気も兼ねて戸は開かれたままにされており、うなじが寒いと思ったあたりで閉じられた。

ペアリングやらマリアージュやらといったものを都市伝説だと思っていたため、飲み物に悩むが結局伝説を信じることにする。伝説といえば羽生善治九段が王将戦で2勝をあげたことは素晴らしい。どうやら寿司と一品料理が交互に出てくるらしい。

カウンターの逆サイドにいる有識者らしきおじさんが気になる。やたらと大将にも話しかけ、こういう人って一定数いるよなと最初は思ったのだが、次第に真の有識者感を醸し出してくる。曰く、裏返された小肌を出す店は日本に2つしかない。大将の説明もありがたい。裏返すことで本来の甘さと、皮付近のうまみを両立させることができる。正直言って寿司屋に限らず飲食店の人間の語りは余計だと思って生きてきたのだが、見事に結実したこだわりを的確に表現する言葉には感嘆した。

人間は味だけでなく香りも味わっているのだと、ワインについて勉強する中で読んだ気がするが、本当にその通り。ドイツワインリースリングと酢がこんなにも調和すると思わなかったし、料理と同時に日本酒を口に含むことで予想を超えた豊穣な香りが立ち上がる様は圧巻だ。よいワインをグラスに注いだ直後のように、香りが爆発的に立ち上がっては抜けていく......。酢にこだわりのない寿司屋はだめだと思うが、とはいえ酢を突き詰めた先にこんな世界があるとは舌を巻く。

ところで先日、どうしても欲しいパンツがあるにもかかわらずその柄の名前が分からず検索不能という事態が発生した。かなり困って結果として全然違うチェックを買うなどしてしまったのだが、ふらっと服屋に入ったところまさに欲していたものが置かれていた。バスケット柄と書いてあったが、今調べてみるとどうも再現性がないというか、その名称は一般的でないかもしれない。日本語にすると籠で、音を取っているだけだが竹の龍である。なぜこんなことを書いているかというと九頭龍という日本酒が出てきたからだ。というのはもちろん嘘だが(嘘というのは理由の部分だけ)。

九頭龍のキャッチコピーは「自由の扉をあける一杯」とのことだが、籠のように口を閉ざすことによって鼻孔へと抜ける道が開かれる時、ヘルメス主義の伝統において人間の身体が密閉されたフラスコのような化学反応の舞台とされてきた歴史が思い浮かんだ。というのは嘘で、酒が回って寝たものの朝方起きてしまった今、香りが抜けた口がそんなことを語り始めた。

近況:ポルトガル文学がアツい感じがしています。

 

軽蔑

2022年のまとめをしていなかった。もっとも、かつてそのようなまとめをしたことは一切ないのだが。2022年は人生をやった感じが強く、比較的危ない病気で入院・手術×4をこなし、その後諸々あって結婚した。結婚に伴い引っ越し、あとは面接というものを久しぶりに体験した(落ちた)。締切を破るのも人生初の体験だった。これは早急に解決しないといけない。

色々なことがありすぎてかえって長々と書く気になれないのだが、世の人は本当に自分語りがうまいと思う。

ところで先日ベケットの舞台《いざ最悪の方へ》を観た。もともとは戯曲ではないものを、舞台化したもの。そろそろ終焉すると言われるツイッターで感想を検索すると、①演者の驚異的な身体表現を称賛するもの、②スクリーンや身体へのプロジェクション等、ベケットの言葉との様々な格闘に意義を見出すもの、③窓からの身投げ(?)の身振り等、失敗することの演技に着目したものがあった。

①は論外で、みんなでコンテンポラリーダンスを観ようよという気持ちになった。②はわからないでもないが、2023年の演劇がその程度の趣向で終わっていいのか。③に関しては、たしかに失敗の演技だったのかもしれない。ただし、言うまでもなく失敗の演技は失敗に成功する定めにあり、その意味ではなんら枠を破壊するような力はなかった。失敗の演技ではなく演技の失敗が必要なのではないだろうか。それすらも古い、今は失敗に成功するのがアツい!ということなのかもしれないが。

こういうものを見た時に、あえて劣悪なものを見せることによってそのジャンルに対する批判的思考を促しているのか!?と思ってしまう癖があるが、絶賛の嵐ということはそういった企図も実現していないことになる。単にクオリティが低いものを無理に理論的に解釈するのもよくない気がするし、作品と向き合うのは難しいことだ。

ピーピング・トムは残っている席が微妙すぎて断念しました。

 

 

 

Alright

インターネット・デトックスの聖地、恐山に行ってきました!境内に入るや否や金属探知機のお出迎え。まるで国際線のようなボディチェックが異世界への旅立ちを予感させます。門番が矢継ぎ早に滞在の目的を問うてきますが、己をさらけ出すという意味でも正直に答えます。グーグルマップで評判が良かったから。

僧侶は仁王像へと変貌し、力づくでインターネット・ユーザーを追い出そうとします。そう、相撲がすべてを決める。曹洞宗は只管打坐を標榜し、穏やかな宗派としてのイメージを打ち出していますが、そこはやはり禅宗。仏に会えば仏を殺し、インターネット・ユーザーに会えばインターネット・ユーザーを殺す。力なき者は悟りに近づくことさえかなわない。

太刀打ちできない。仕方がないので下山します。逆方向へと進んでいくと渓流があり、秘湯に浸かるサルの姿が見えます。渓流の木陰の隙間からは、遥か遠くに輝く浜辺がうっすらと覗いており、絶景というほかありません。入るか入るまいか悩んでいると、サルが怯えたような顔で、しかし堂々と語り出しました。

「想いを知りつくして、激流を渡れ」

激流とは何のことなんだろうと思うや否や、コバルト色の空と海風が眼前に押し寄せ、息つく間もなく私を恐山の門前へと運びました。しばらく動けませんでしたが、どうにか気を取り直して再び門番と相対します。激流を渡りたい。そう告げると、門番は納得した様子で拳を振りかざし、勢いよく私の頬を殴りつけようとしてきます。間一髪かがんで拳をかわしたものの、そこは百戦錬磨の禅僧といったところ。すかさず飛んできた足払いを避けることができず、衝撃と共に視界が暗転。

しばらく気を失っていたことに気が付いたのは、鈍痛によって見開いた目が暗闇を捉えたからでした。夜になっている。もう一つ気が付いたのは、ここが門の内側だということ。先ほどまでは広々とした駐車場のそばにいたはずが、今ではその駐車場が門の向こう側に見える。門番が情けをかけてくれたのかどうかはわかりませんが、恐山では17時を過ぎると外界に出られなくなると言います。一度足を踏み出したら戻ってこられるかは不明。そうであるならば、このチャンスを逃すわけにはいかない。

恐山の宿である宿坊や本堂には近づけません。気が付かれたらつまみ出されるに決まっている。ここは野宿一択でしょう。幸いにも恐山にはいわゆる地獄があり、そこを抜けると極楽浜という浜辺もあるようです。深夜であればそのあたりに近づく人もいないでしょうし、動物の類も人里近くまでは下りてこないはず。火山の噴火によって形成されたという岩場を這うようにして進んでいきます。スマホの光だけが頼りです。

小高い丘の上に、小さなお堂らしき建物が見えます。このあたりまでは順調に進んできたのですが、浜辺に近づく道を見失ってしまいました。GPSでおおよその方角は分かるものの、道が見えない。方角だけを頼りにお堂の左手を潜り抜けていくと、サーファーの大好物である高波のような形に広がった岩肌に突き当たりました。何やら文字が刻まれているのが見えます。

映画やTV番組、アニメが見放題
映画やドラマをもっと自由に。いつでもキャンセルOK。
まもなくご視聴いただけます! メールアドレスを入力してメンバーシップを開始、または再開してください。
メールアドレス       今すぐ始める>

万が一始めてしまったら、永遠に岩肌を離れられなくなる予感がする。後ろ髪をひかれつつもこの道は諦めることにします。お堂まで戻り、今度は右手方向に抜けていくと、そこには荒れてはいるものの踏めないことはない階段が出現しました。足を踏み外さないように慎重に慎重に登っていっても、一向にどこかに辿り着く気配がありません。しかも、どんどん纏わりつく虫の数が増えている気がします。振り払ってはいるものの、間違いなくその度ごとに精神の余裕が失われていきます。

受信トレイ(22,569)

全てを一度に解決することはできません。一度お堂に戻って、道を再確認してみることにしました。ぐるぐるとお堂を回ってみると、なぜこんなしっかりとした道を見逃していたのか不思議なほどわかりやすい道がお堂の真後ろに見つかりました。これなら道なりに進むことができそうです。だんだんとさざ波の音が増してきます。ゴールはもう近い。ついに月光を反射する湖面が見えました。

しかしそこからが遠い。浜へと通じる道だと思って進んでみると、どこかで必ず中洲に行き着いてそれ以上進めなくなってしまう。それぞれの中洲の水面にはぼんやりとした人影が写っていて、覗き込んでみるとその姿は消えていきます。中には非常に魅力的な異性の姿をしたものもあり、水に足を踏み入れようかと思いましたが、なんとかその誘惑を振り払っては道を探ります。今思うと、あれは一種の底なし沼だったのでしょう。

ついに。ついに開けた湖面に辿り着きました。月明かりの中に、うっすらと浮かび上がる後ろ姿があります。かなりの猫背でヤンキーのように座り込み、毛むくじゃらの手には小さな光が宿っています。その光は蛍のように浮かび上がってたゆたうと、湖面へと吸い込まれ、一瞬の静寂の後に水龍となって浜辺へと押し寄せました。不思議と威圧感はなく、むしろ飲み込まれることで穏やかな気持ちになっていきました。どれほどの時が経ったのか定かではありませんが、濁流の中を泳いで下界へと戻ってきた私は、それ以来インターネットに囚われずに暮らしています。

かきとみみ

牡蠣耳を持って生まれてくる一族がいた。その名の通り耳が牡蠣そっくりになっている人間たちのことで、似ているばかりか実際にその耳は食べることができた。言ってみれば非常食を常に携帯しているようなもので、いわゆる寝貯めと同じように、栄養を十分以上に摂取すると彼らの耳には牡蠣(のようなもの)がなるのだった。もちろんきちんと耳管は働いており、プールで水が入った時のような気持ち悪さがあることを除けば、取り立てて生活に支障が出ることもなかった。というよりおそらく、彼らはその感覚を気持ち悪いとは思っていなかったことだろう。

牡蠣耳の一族が受難の日々を送るに至った理由は至極単純。その牡蠣(のようなもの)の味を他の人々に知られてしまったからだ。よくある非常食のようにぼそぼそしてなんともいえない味ならともかく、牡蠣耳(そう、その言葉は一族全体の他称であると同時に部位の名称としても流通した)はジューシーで、ぷりぷりとしていて、どういうわけか太古の海を思わせるような懐の深さを備えていた。時には暴力で、時には奸計にはめられて、彼らは牡蠣耳なんてもぎ取ってしまいたいと思うような暮らしを余儀なくされた。当然ながらそれを実行に移した勇敢な者もいたが、彼らの再生能力は凄まじく、数日もすると牡蠣と耳が生えてくる始末だった。言うまでもなく、この再生能力が知られると彼らの生活はさらに厳しいものとなった。

追い詰められた牡蠣耳の一族は次々とこの世を去ったが、彼らがあの世だと思って辿り着いたのは自らが切断した牡蠣耳の世界だった。彼らの再生能力は凄まじく、身体の大半を捨てても生き延びることができたのだった。あるいは、死ぬこともままならない、と思った牡蠣耳もあったかもしれない。もはや人語は話せないが、耳としての機能が残っているため最低限の意思疎通が可能であったことは、彼らにとって幸いであったと言えよう。

必然と言うべきか、いまだ人間の身体を残している牡蠣耳の一族は海へと還る計画を立てた。数少ない計画遂行者を除いて多くの人々が牡蠣耳へと姿を変え、人間に見つからないように松島の海へと向かった。木を隠すには森の中、牡蠣を隠すなら海の中というわけである。松島の牡蠣は当時からすでに名物であったが、牡蠣耳の引っ越しの後はさらにその品質が増したという。牡蠣耳は捕食の可能性を下げるため、己の牡蠣(のようなもの)をご丁寧に殻まで付けて海中の岩に配置して回っており、人間が天然ものと思い込んでいる牡蠣の中にはこれが混ざっていると言われる。牡蠣耳がそこになんらかの毒を仕込むような悪意を備えた生き物に進化したのかどうかは不明である。