寿司密室

寿司マフィア。寿司マフィン。寿司マクガフィン。寿司ミッフィー。寿司ミシシッピ。寿司マンソン。寿司マッサー。寿司マザファッカー。寿司マザー。寿司マッシュ。寿司マゾ。

今回は寿司密室についての話である。

世の中には二人の人物が放り込まれ、どうにかならないと出られない部屋というものが存在するらしい。人類は進化の果てに、肥沃な土地ではなく閉ざされた小部屋を求めるようになった。だが結局は拡大再生産に尽きる。尽きると見せかけて実はそのプロセスに永遠が詰まっていたりする。

寿司密室もそうだ。そこでは、寿司を食べるまで外に出ることができない。だが、外に出てどうなるものでもない。というよりも、実際に外について考えられることはほぼない。なぜならそこに寿司がないから。寿司のない世界にも何かの意味がきっとあって——という風に考えの軸を移していくことになるわけだ。

誰もが寿司密室に生きている。その解を見つけられた人間はほとんどいないし、寿司密室のことを知らずに幽閉されているケースも多い。ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアは、寿司密室を発見した先駆的な人物であった。ペソアは書いている。「海に人格はない/米粒とバカリャウは網膜と一体化し/われわれの外の世界を映すことはない/無数に分裂していくなかで/互いが出会うその時までは」。

ペソアの詩は、人格の問いのなかに寿司密室に対する答えのひとつが潜んでいることを教えてくれる。だが当然ながらそのことを知るだけでは不十分で、実践が不可欠である。密室ごと逍遥するような、変化を恐れない姿勢が求められている。