人間以前

「このまま炙りサーモンファイアを放てば、あるいは……」

序列7位、最上級の死霊系モンスターであるPh. D.の脅威を前にして、頼れるものは炙りサーモン以外になかった。ここ一番での一発逆転、俺のような二流寿術師がPh. D.の首を取れるとしたらチャンスはそれしかない。酢飯は最高のバランス、握りも完璧、あとは絶妙な炙りテクニックを見せつけるだけ。が、やはりと言うべきか、平静を保つことは叶わなかった。手の震えが止まらない。こぼれ落ちるサーモン。空を切るバーナー。間近に迫るPh. D. の熱風。いや待て、なんだ今のサーモン自ら逃げ出したような動きは。忠誠心ってものはないのか。こんなやつ選ばなければよかった――劫火に焼き尽くされながら、己の愚かさを呪う。生まれ変わるとしたら、サーモンなんて絶対に選ばない。

そうして俺は生まれ変わった。別世界ではなく、同じ世界、元生まれたのと同じ時間へと。と言っても、同一人物というわけでもない。別人として、ただし寿術への適性はそのままに。前世の記憶は人々の中から消えているはずだ。これは以前、ひょんなことから大寿術師であるワサビシャーマンにかけてもらった司法の効果だ。俺は寿司を握り続ける限り、無限に死に戻ることができる。そういう存在として、世界のネタ帳へと書き込まれているのだ。

何度も死に戻ってPh. D. に挑んでいるが、いまだ勝てたことはない。それほどの難敵に、なぜ挑まなければならないのか。その理由は、ワサビシャーマンの司法にある。死に戻る力の代償として、俺はPh. D. を倒すという未来を約束してしまったのだ。序列10位以上の学魔は常人では太刀打ちできないため、こうした司法を利用した戦士たちが他にも何百人と生み出されてきた。中には序列1位のスーパーグローバルダイガクを打倒す強者も出たそうだが、いかんせんこの司法はひとりにつき一体の学魔を設定してしまうため、どれだけの勇者がいようと他の学魔には手が出せない。その一方で自分の担当の学魔が倒された場合、解放されるわけではなく討伐対象が新たに割り振られるという奴隷仕様なのだが……それはともかく。

炙りサーモンはダメだった。あいつは使えない。いやまあ、炙られると熱いし、ちょっと避けちゃう気持ちはわかるけど。それでも学魔のブレスが来てるんだからそこは耐えないとだめでしょ。今回は別の使い寿司を選ぼう。せっかく海峡地方に生まれたことだし、サバあたりがいいかな。派手さはないけど、司法強化に優れた寿司だし、何よりコスパがいい。一撃必殺を求めたのが間違いだった。

また負けた。単純に火力不足。Ph. D.の姿を見た瞬間あきらかに諦めてたよあれ。完全に強化が手抜きだったもの。ほんとに寿司に恵まれない。もうコスパ系はやめよう。そうだな、次はアナゴにしてみよう。アナゴの回復能力で耐え続ければ勝てるんじゃないだろうか。そう思っていた時期がわたしにもありました。今度はアナゴの毒で炎症起こして死んだ。

このあとめちゃくちゃ色んな寿司を試した。防御壁のツブガイ、催眠術のウニ、拳闘術のマグロ、分身術のアマエビ、黒魔術のイカ、硬化術のギョク、変異術のニク、錬金術イクラ、白魔術のマダイ、剣術のサヨリ、浸透圧のハマグリ等々。だがどれもだめだ、毒があったり弱点があったり、あるいは敵前逃亡したりする。途方に暮れた俺は、序列1位を倒した先人である勇者ジロウに教えを請うことにした。

「寿司への愛を、見失っちゃいねえか、あるいは知りもしないのか」

ひとしきり事情を説明すると、そんなことを言われた。ひどく憐れむような目つきである。いったい何が足りないというのか。常に最高の寿司を探し、駆使しようと努めてきたというのに。そもそも敵前逃亡するような奴と一緒に戦ってどうにかできるわけないだろ。

「お前はネタしか見とらん、その下で、握り込もうとする手の中で、どんなシャリが呼吸してるか考えたことがあるか?それぞれの寿司の能力なんざどうでもいいんだよ。寿司をモノ扱いするな。裸の寿司を愛せないやつが、上辺だけ力を借りようってのが間違ってんだ」

俺は……何もかも間違ってたんだな。寿司は勲章じゃない。Trust the Process. ぎゅっと米を握りしめた。