I SAY, SUSHI

川で寿司食う奴がいる。島で寿司買う奴がいる。寿司取り網持つ奴がいる。別になにする寿司でもいい。なにもしない寿司でもいい。そもそも寿司じゃなくてもいい。AするBでなくてもいい。寿司する惑星。寿司酢は逆から呼んでもスシス。J. R. スミスにも寿司食べてほしい。もちろんステーキでもいいよ。

愛じゃない。寿司から利益を引き出そうとしない。狂気と言われようが完成させたいのは寿司の呪術。これまでの寿司とこれからの寿司、星と星を出会わせるプロセス。理ではなくゆらぎに賭けるスタイル。それが寿司取り網、寿司の網目。恋は盲目とちょっと似てるね(似てないね)。さいきん寿司食べてないね。でも食べるだけじゃない。食べるだけの寿司なんて唐変木ポンコツ。朴訥が愛されるのが寿司。誰もが寿司。誰も彼もが。

巡礼の旅に出たい。サンティアゴ・デ・コンポステーラ?聖ヤコブも寿司を食べた?ヤコブが歩く、かみしめる、口の中は空だけどかみしめる。それが寿司。朴訥が愛されるのが好き。朴訥なんて最近聞かないね。コミュ障だの陰キャだの、でも朴訥が愛されるのが寿司。雑誌の広告、食べログのレビュー、レジェンド次郎もそこでは放牧。たぬきも熊も寿司見て喜ぶ。ポストヒューマンのグレイテストショーマン。それが寿司。愛される朴訥が好き。愛されない朴訥も寿司。少しは呪いも解けてきたかな。呪いを呪いで打ち消すのが好き。かどうかはわからないけどウニ。お前だけの寿司を見つけよう。お前だけの好きを仕事にするより簡単。

岡本かの子 a.k.a. 寿司マフィア

 どんなに人がいても、寿司を作るお祝いの雰囲気があります。簡単に、苦労することなく、すべてが圧倒される。

古い古い普通の寿司バーが、貧しいビジネスのせいで、前世代の所有者はサインと共に引き渡し。新しい幸運の天才のマスターは、元々東京で最高の寿司屋に籍を置いた職人たちにしか状況を確認せずに、寿司の品質を向上させる何らの仕事もしていなかった。

あなた一人一人が好きな場所で座席を取る、寿司種、甘くて甘いもの、酢の寿司で飲むもの、寿司にまっすぐ行くもの。また、寿司を食べた後に鰹節で煮込んだもの、アワビの腸内を煮付けたもの、レギュラーでのみ調理した焼きたまごを買って。トガイオはそれを見て、その顔をしわくちゃにした。

「私は疲れて、そのような悪いもの」

Tayooは学校の遠足で多摩川に行った。春咲小川の停滞を見て、たくさんのファナが泳いで来て、茶葉のような青い水の中に尾鰭を点滅させて、苔の餃子を食べて再び去る。その後、残りの花が集められ、尾鰭が蓄積され。それが来て流れても、変化は人間の意識の目に留まらない、かすかでかすかなもの。同じ魚の中にはいつも同じものがある。

あなた、寿司の寿司、本当にあなたのように。
「どうして来て食べるの?」
「私は好きではないが、食べたくないときでも、寿司を食べるのが私の慰めだ」

人間以前

「このまま炙りサーモンファイアを放てば、あるいは……」

序列7位、最上級の死霊系モンスターであるPh. D.の脅威を前にして、頼れるものは炙りサーモン以外になかった。ここ一番での一発逆転、俺のような二流寿術師がPh. D.の首を取れるとしたらチャンスはそれしかない。酢飯は最高のバランス、握りも完璧、あとは絶妙な炙りテクニックを見せつけるだけ。が、やはりと言うべきか、平静を保つことは叶わなかった。手の震えが止まらない。こぼれ落ちるサーモン。空を切るバーナー。間近に迫るPh. D. の熱風。いや待て、なんだ今のサーモン自ら逃げ出したような動きは。忠誠心ってものはないのか。こんなやつ選ばなければよかった――劫火に焼き尽くされながら、己の愚かさを呪う。生まれ変わるとしたら、サーモンなんて絶対に選ばない。

そうして俺は生まれ変わった。別世界ではなく、同じ世界、元生まれたのと同じ時間へと。と言っても、同一人物というわけでもない。別人として、ただし寿術への適性はそのままに。前世の記憶は人々の中から消えているはずだ。これは以前、ひょんなことから大寿術師であるワサビシャーマンにかけてもらった司法の効果だ。俺は寿司を握り続ける限り、無限に死に戻ることができる。そういう存在として、世界のネタ帳へと書き込まれているのだ。

何度も死に戻ってPh. D. に挑んでいるが、いまだ勝てたことはない。それほどの難敵に、なぜ挑まなければならないのか。その理由は、ワサビシャーマンの司法にある。死に戻る力の代償として、俺はPh. D. を倒すという未来を約束してしまったのだ。序列10位以上の学魔は常人では太刀打ちできないため、こうした司法を利用した戦士たちが他にも何百人と生み出されてきた。中には序列1位のスーパーグローバルダイガクを打倒す強者も出たそうだが、いかんせんこの司法はひとりにつき一体の学魔を設定してしまうため、どれだけの勇者がいようと他の学魔には手が出せない。その一方で自分の担当の学魔が倒された場合、解放されるわけではなく討伐対象が新たに割り振られるという奴隷仕様なのだが……それはともかく。

炙りサーモンはダメだった。あいつは使えない。いやまあ、炙られると熱いし、ちょっと避けちゃう気持ちはわかるけど。それでも学魔のブレスが来てるんだからそこは耐えないとだめでしょ。今回は別の使い寿司を選ぼう。せっかく海峡地方に生まれたことだし、サバあたりがいいかな。派手さはないけど、司法強化に優れた寿司だし、何よりコスパがいい。一撃必殺を求めたのが間違いだった。

また負けた。単純に火力不足。Ph. D.の姿を見た瞬間あきらかに諦めてたよあれ。完全に強化が手抜きだったもの。ほんとに寿司に恵まれない。もうコスパ系はやめよう。そうだな、次はアナゴにしてみよう。アナゴの回復能力で耐え続ければ勝てるんじゃないだろうか。そう思っていた時期がわたしにもありました。今度はアナゴの毒で炎症起こして死んだ。

このあとめちゃくちゃ色んな寿司を試した。防御壁のツブガイ、催眠術のウニ、拳闘術のマグロ、分身術のアマエビ、黒魔術のイカ、硬化術のギョク、変異術のニク、錬金術イクラ、白魔術のマダイ、剣術のサヨリ、浸透圧のハマグリ等々。だがどれもだめだ、毒があったり弱点があったり、あるいは敵前逃亡したりする。途方に暮れた俺は、序列1位を倒した先人である勇者ジロウに教えを請うことにした。

「寿司への愛を、見失っちゃいねえか、あるいは知りもしないのか」

ひとしきり事情を説明すると、そんなことを言われた。ひどく憐れむような目つきである。いったい何が足りないというのか。常に最高の寿司を探し、駆使しようと努めてきたというのに。そもそも敵前逃亡するような奴と一緒に戦ってどうにかできるわけないだろ。

「お前はネタしか見とらん、その下で、握り込もうとする手の中で、どんなシャリが呼吸してるか考えたことがあるか?それぞれの寿司の能力なんざどうでもいいんだよ。寿司をモノ扱いするな。裸の寿司を愛せないやつが、上辺だけ力を借りようってのが間違ってんだ」

俺は……何もかも間違ってたんだな。寿司は勲章じゃない。Trust the Process. ぎゅっと米を握りしめた。

八ヶ岳殺人事件

ついに八ヶ岳に来た。念願のボードゲーム合宿である。連休と有給をフルに活用した3泊4日のサークル旅行。いい仲間たちに恵まれたものだ。出発の二日前、八ヶ岳実行委員会を名乗るアドレスから、八ヶ岳旅行自体をゲームにしようというお誘いが来た。知らないアドレスがだが、大方誰かが新しく作ったんだろう。最近では人数が増えすぎて、誰がどこで何を企画しているのかわからない。これもそういう自分が関与していない企画のはずだ。企画の内容は、旅行に演劇要素を持ち込もうというもの。我々がたまにやるTRPGのように、キャラクターを演じて楽しんでみないか?という提案だった。TRPGをやる予定はなかったので、旅行全体をTRPG化してしまおうということか。そんなにうまくいくのか疑問だが、とりあえず初日くらいはやってみてもいいかもしれない。メールの続きを見ると、自分の設定が書いてあった。

 

寿司マフィア:寿司が好き。黒幕を知っているのでディクシットをやろうと提案する。

 

なるほど。寿司マフィアというのは自分がインターネットで使っている名前だ。今回はそのキャラで登場しろということなのかな。ただ二つ目の設定は気になる。黒幕担当のキャラクターがいるのか。そしてなんでディクシットをやるんだ。よくわからないが、なんにせよこれくらいなら乗ってやってもいい。但し書きに「設定を他人に口外してはならない、これを破ったプレイヤーには重大な罰を与える」と書かれているが、たぶんそうめん抜きとかだろう。揖保乃糸が食べられなくなるだけだ。

宿泊するのは昔旅館だったものを改装した別荘で、13人という大所帯でも個室に困らない点は助かった。皆は昨夜のうちに車で到着していたが、自分はあずさで遅れて来たので迎えに来てもらった。ちょうど昼どきだったので、食堂で合流する。そういえば設定には「全員が初対面として行動する」と書いてあったから、改まって挨拶でもしておこう。

「どうも、寿司マフィアです、好きな言葉は『寿司は逃げない』」

「寿司は生ものだから整腸剤を飲んだ方がいいよ、おれはN」

「こんにちは、無明堂(むみょうどう)です。寿司もまた悟りへの道」

「こんにちはー、茅野早海(かやのはやみ)です」

なんだこのスパイダーマンのスーツを着込んでいる女は。そういう設定にしても怖い。

「蝉丸です、百人一首で好きなのは源実朝

「ぁ…こん…こんに……ぅ……」

子犬のように震えている。

「あ、彼はレイシくん!初対面だから怖くて震えちゃってるみたいで。わたしは米子(よなご)!楽しもうね!」

「人が怖い糸冬(いとふゆ)です、よろしくお願いいたします」

「東京ドームでビールを売ってるルンバだよ!!!!!!仕事が!!!!!つらい!!!!!!」

「植物学者の倉知です、ミステリ作家の倉知とは親戚でもなんでもありませんけどね」

「呉伊太郎(くれ いたろう)です、ごいたをご存知ですか?」

「スライムが好きな山之上粘(やまのうえねばり)です、よろしく」

「ペルソナシリーズがあってよかった、神取です」

いい加減にしろ。こいつらのことは知っているが、いきなり色々言われても何も覚えられない。記憶に残った設定はスパイダーマンだけだ。いやあれは設定なのか?彼女はアメコミ好きだから単に趣味で着てきたのかもしれない。まあいいや、自分の設定を言わなければいいんだから適当にやろう。

カレーを平らげると、本格的にボードゲームに取り組んだ。時間なんてあっという間に過ぎる。アグリコラという重ゲーによって疲弊したころには、すでに日が落ちていた。晩御飯は揖保乃糸。誰も設定について口を滑らせていないので、罰ゲームはなしだ。まあ、この罰ゲームは自分が考えてるだけで本当はなにかわからないけど。何人かは夜中までプレイし続けていたが、アグリコラで頭痛がしてきたので明日に備えて寝ることにする。明日はもうちょっと軽いやつをやろう。

翌日の天気は最悪そのもので、秋にもかかわらず豪雪が吹き荒れている。ここは札幌か?山の天気は恐ろしい。なんにしてもあと二泊はするのだから、その間には止むだろう。というか止んでくれないと困る。八ヶ岳観光はあきらめて、せっせと室内遊戯に勤しむとしよう。しかし設定というのもあんまり意味がないな、昨日は皆ちゃんと名前をキャラクターのもので呼んでいたけど。

「誰か来て!!!!!!!!!!!」

このでかい声は……ルンバか。虫でも出たんだろうか。虫は怖い。まだ寝ておこう。だがしばらくすると、強いノックによって起きざるをえなくなる。

「生きてますか!?」

「無明堂さんか、ルンバが虫にでも刺されたの?」

「いえルンバは無事です……ですが、ごは…米子さんがひどいことに。とにかく来てください」

なぜか外に連れ出されたが、そのわけはすぐにわかった。細長いえんとつの頂上で、突き刺さるようにして米子さんが血を流している。吹雪で見えにくいがあれはたしかに米子さんのはずだ。背中に見えているお米パーカーがそれを物語っている。

「ひとまず食堂に集まりましょう、えんとつに登るのは危険ですし、今はどうしようもありません」

食堂では誰もが暗い表情をしていた。昼ごはんのカレーに手をつける者も少ない。なんなんだこの状況は。苛立ちから思ってもいない言葉が出てきてしまう。

スパイダーマンならえんとつにも登れるんじゃないか?」

「どうしてそういうこと言うの、設定に書いてあったらわたしが人を殺すとでも?」

「やはり人は怖い……でも、ひとまず警察に連絡しないと」

「整腸剤を取りに行くついでに見て来たんですが、電話線もネット回線も切られているみたいです」

「まるでクローズドサークル倉知淳のそういう作品は星降り山荘だっけな」

いまだに設定にこだわり続ける気が知れない。なんにせよここで話していてもストレスがたまるだけだ。レイシなんて隅っこでがくがく震えてる。

「おれは部屋に戻らせてもらう」

立ち上がったその時、片隅からかぼそい声がした。

「ぁ......せって……設定で……ぼ、ぼくが……」

「設定について話すと怒られるらしいよ、ストレスが強そうだからこの整腸剤をあげるよ」

「いいです……その…ぼくが…設定に書いてあって……殺人者の役で……」

本当に設定通りに殺人を犯すやつがいるのか?恐怖よりも理解不可能さが先に襲ってきた。怯えているだけの子犬だと思っていたら狂犬だったのか。こいつは部屋に閉じ込めるしかない。皆動転していたが、ひとまず隔離に成功した。

「あいつを隔離したまま、ひとまず状況の回復を待とう。そのうち雪も止むだろう。もうおれは耐えられない、みんなも各自休んでくれ」

誰もうなずかないが、構わず部屋に戻った。なにも考えたくない。ぼんやりと意識が落ちていった。

翌日。食堂に行くとレイシにカレーを持っていくかどうかで議論が起きていた。が、最終的には自分たちも殺人を犯してはならないという結論になった。万が一の反撃を避けるため、皆で運びに行く。扉の向こうではレイシが死んでいた。ナイフか包丁のようなもので刺された跡がある。呉の嗚咽が響く。誰もがパニックに陥り、てんでばらばらに逃げ去っていく。その場に残ったのは無明堂と自分だけ。

「なぜ彼は死んだと思う」

「この馬鹿げた茶番を本気で信じるなら、設定について触れたから」

「同意見だ。無明堂、お前を信じて言うが、おれは黒幕を知っている。なにも言わずに信じてくれ。ディクシットをしよう」

「ディクシット?この緊急事態にゲームを?」

「信じてくれ」

「何もわからないが、気晴らしになるかもしれないですし、もう少し落ち着いたらやってみてもいいですよ。何か考えがあることでしょうし」

「こんな時こそ、お互いの気持ちを理解することが必要なはずだ、ディクシットはそういうゲームだろ?」

内心で安堵する。設定をこなせば最低限死ななくて済みそうだ。犯人を探すなんて冒険は自分の身の安全を確保してからでなきゃできないからな。もちろん黒幕なんて知らない。それについてはのらりくらりとやるしかないだろう。いや、違うな。むしろ確実に生き延びるためには、黒幕を用意してやる必要がある。それは設定には書かれていないが、偽の黒幕を示すことが出来れば真の黒幕の信用を得られるはずだ。やってやろう。やってやる。こんなところで死にたくない。

3日目の昼、食事の後に意を決して切り出した。ディクシットをなぜやるのか分からないという声は多かったが、気持ちを切り替えようと無明堂や山之上さんが賛同してくれたおかげか、開催にこぎつけた。蝉丸や糸冬、そして神取さんなどは、このディクシットに何かしらの意図がありそうだと鋭い眼光を送ってくる。おそらく寿司マフィアが何かを知っており、ゲームの規約に触れない範囲でそれを伝えようとしていると考えているのだろう。

「じゃあ発案者が親でやろう」

ディクシットが始まる。ディクシットは配られたカードのうち、親が指定するキーワードに該当しそうなカードを出し、シャッフルした後にそれらを並べ、親のカードを当てるゲームだ。実にいいコミュニケーションゲームなのだが、特別な意味を読み取ろうとしている奴らの前では、そんな勝利はどうでもいい。

「では寿司マフィア行きます、キーワードは『潜む』!」

選択したカードは、うねうねと生い茂る茨がナイフを操っているもの。我ながら天才的なカード運だ。彼らもこのゲームの意図を自分たちに都合よく理解しているからだろうが、「潜む」に該当しそうなカードはルールに反して出てこない。彼らが知りたいのは口に出すことはできない親のメッセージだからだ。ゲームを楽しむことなどどうでもいいわけだ。そして正解が告げられる。ここからが本当の勝負の始まりだ。

「茨がナイフを持っている……これが何らかのメッセージだとすると、黒幕の暗示でしょうか?もちろん寿司マフィアさんに直接聞くことはできませんが」

ありがとう神取。そのまま誤読を続けてくれ。

「そんなメッセージが込められてるゲームだったのかー、ストレスがたまりすぎて整腸剤を取ってきたいけど、今はそうもいかなそうだね。もしその通りだとしたら黒幕は倉知さんになるのかな?」

「植物学者というだけで黒幕扱いですか、ディクシットってそんなにストレートなゲームでしたか?」

冷静に反論を続ける倉知の言うことは誰も聞かず、ただただ解放されたい彼らは倉知を隔離した。大成功だ。これで真の黒幕も満足だろう。真の黒幕が倉知だった時には、それはそれでいい。ようやく枕を高くして眠ることができる。あとは雪が止むのを待つだけだ。

だがいつになっても雪は止まらなかった。そればかりか、翌日には無明堂が死に、黒幕をでっちあげたことがバレたために自分も殺されかけた。一瞬の隙を見計らい、「タヌキが呼んでいる!」と叫んで外に飛び出したはいいが、雪山を踏破することはできなかった。数日して息も絶え絶えの状態で戻ってきたはいいものの、もう足が動かない。意識を失う直前に見えたのは、窓際でこちらを眺めて微笑む血まみれの米子だった。

過去からの刺客

 

ディクシット 日本語版

ディクシット 日本語版

 

高尾山に登って祈り、寿司を食べてカラオケをして肉を食べてビリヤニを食べてボードゲームをした。多少元気になった。驚いたのは、寿司よりビリヤニのほうが気分転換になったこと。やはりスパイスが効くんだろうか。汗をかくのが。別の刺激をあたえることで。痛みを上書きしているという自覚がない程度の強度で。 

ディクシットは、配られた絵をもとに順々にお題を考え、他の人がそれを聞いて選んだ絵と混ぜた後、出題者が出した正しいカードを当てるゲームだ。たとえば「振られた日」というお題を出し、ネズミがピーヒャラと笛を吹いている絵を正解に選んだとしよう。他の人たちは、「振られた日」に合うような絵を、自分の手札カードから選ぶ。それをネズミカードと混ぜた後、表にし、数枚のカードから正解を選ぶわけだ。もちろん出題者は回答しない。そうすると、うつむいて落ち込んだピエロのカードなんかが出て、他の人は「これだ!」と思ってそれを選んだりする。非常に例としてふさわしくない気がするが、まあそういうかんじだ。

たしかに振られた日にはおわりピエロのようになるだろうから、他の参加者が出したカードは的を射ていたとも言える。しかし考えてほしい。ネズミの笛の先っぽは蛇になっているのだ。本人はピーヒャラと音色を奏でているつもりが、実際に出てくるものと来たら蛇なのだ。もちろん毒蛇だろう。そして毒蛇は噛み付こうにも笛(つまり振られた人の口)から離れることができず、その毒牙はどこにも届くことはない。ただ単に落ち込んでいるピエロより、よほど道化であると言えないだろうか。

そういうわけで、笛をうまく吹きたいと思っている。

モダンアート

モダンアートについて話そう。

絵の話はしない。ボードゲームである。

モダンアート (Modern Art) 日本語版 ボードゲーム

モダンアート (Modern Art) 日本語版 ボードゲーム

 

ご存知の方はご存知の通り、競りを通して5種類ある画家の価値を高めていくゲームだ。計4ラウンドの競りを行い、一度高い値が付いた画家はどんどん値があがっていくシステム。 巨匠ライナー・クニツィアの三大競りゲームのひとつであり、最高峰のボードゲームのひとつであると言っても過言ではない。個人的には相場をもとにしたソリッドなせめぎ合いが楽しいと感じるが、競り落としたいがために大枚をはたいて負ける愉快さも味わえる。

モダンアートについて紹介される際、しばしば言われるのは資本主義の原理を体感できる云々という話だ。どの画家が高騰するかは美学的な判断ではなく、どれだけ過去に価値をつけられたかによって決定されるので、たしかにそういった一面はある。だが、このゲームの肝はどの画家に投資するか、他のプレイヤーと暗黙裡に探り合うところにある。もちろん最終的には自分がもっとも得をしたいので、共通の価値を作りつつどこかで差をつけなければならない。言い換えれば、他人に得をさせつつ自分はもっと得をすることを目指すゲームなのだ。どこまで同じ船に乗っているかわからない感覚、それが面白い。

さて、モダンアートのシステムと似通っているものが寿司界にも存在する。2人で行く回転寿司である。正確に言えば、2人で行って皿を分け合う機会が発生する回転寿司。仮説を提唱するならば、わざわざ回転寿司の皿に2個(貫については意味が揺れるので個を使った)寿司が乗っているのは、分け合うことを可能にするためなのではないか。当然ながら、すべての皿を分け合うことはそう多くないだろう。お腹が膨れてきた時、とりわけおいしいものがある時、あるいは逆にいまいちだった時、それを分け合うという選択肢が出てくる。一緒に食べに行くのだから、それなりには仲が良いのだろう。基本的に相手にはおいしいものを食べてほしい。しかし自分が最大限おいしいものを食べたいという気持ちもまた確かにある。さあ、どのネタを分け合うか。このようにモダンアートと回転寿司は似ている。現在2680円。値段も似たり寄ったりである。

最後に誰かと2人で回転寿司に行ったことを思い出す。完全に別々に食べたような記憶がある。常にゲームが遊べるわけではないのだ…。なにはともあれモダンアートは傑作です。

日本寿司振興会

【これまでの研究】

 申請者のこれまでの研究は、寿司におけるサーモン偏重主義の批判から始まった。先行研究においてはサーモンを炙る、カルパッチョにするなどのサーモンがメインである前提での多様化が目論まれてきたが、サーモンへの拘泥は全体としての寿司の多様化をかえって妨げてしまう危うさを抱えている。そのためサーモン以外のネタの持つ個性を再考する必要が生じた。

 申請者は北海寿司大学に所属する地の利を活かし、修士課程在学中から釧路発の回転寿司に足を運んだ。その結果、当地ではサーモンだけでなくサバなどが重要な戦力となっていることが明らかになった。とりわけ、関東ではほぼ目にすることのない「たこまんま」すなわちタコの卵という珍味の存在はひときわ光るものがあった。こうした北の寿司ネタたちを食すことで、これからの研究への道筋が開かれた。

【これからの研究】

 これまでの研究において申請者は北の海ならではの味覚を発見したが、これらのネタをプッシュしていくだけでは、これまで取り組んできた問題が改善されたことにはならない。そこでこれからの研究においてはより広範な寿司へと目を向け、寿司のイメージ論の構築を試みたい。

 ボリス・グロイスは、「まさに、内在的で純粋に美学的な価値判断がいかなる意味でも不在であることによってこそ、芸術の自律性は保証される」という視点を打ち出した。簡単に言えば、「自律的な芸術」というお題目のもとに通常理解される「自律的な価値判断」は、外部の権力によって他律的に生じたものではないかということである。従って、芸術とはあらゆるイメージ、媒体、形式の平等性の確証の場でなければならないとグロイスは言う。そうして彼はイメージ産出機械としてのマスメディアとの抗争に我々を駆り立てる。

 グロイスの主張と寿司を別個に思考することはできない。我々は実際、マスメディア的な寿司のイメージに踊らされているのだ。サーモンではなくサバというオルタナティブも、結局のところはイメージのヒエラルキーという舞台上での狂言に過ぎなかった。必然的に、求められているのは寿司の平等性の確証であるということになる。北海道にとっての特産品としてのサバが重要なのではない。現実に不平等である寿司の世界において、それでもなお平等さを保証しようとする寿司の場こそが目指されるべきなのだ。芸術、そして美術館という場に比べれば、寿司のイメージ産出力など無力であるという反論もありえるだろう。しかし、寿司は感触を作り出し、人間に咀嚼を要求する。それが「炙りサーモンはうまい」という既製のイメージに回収される前に、その都度平等な寿司を求めていくことこそが、これからの研究の主眼である。