OTO! SUSHI

OTO! SUSHI(音寿司)はポーランドワルシャワにあるファンキーな寿司屋である。

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ワルシャワの中心部にあります。なにやらシャレオツな雰囲気ですね。

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ここにね、昔行ったんですよ。たしか1週間くらいポーランドにいたんですが、その間に二回行ったと思います。そのくらい感動しました。その時聞いたこともないなんとか症候群にかかってポーランドの医者にかかり、生命の危機を感じていたからかもしれないですが、とかく印象に残った。昔のことなのであれですが、思い出せる範囲で書いてみます。

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音寿司はこういったいわゆる日本の寿司も作っているんですが、はっきり言ってやはり日本の真似は真似に過ぎない。音寿司がその本領を発揮するのは「nigiri fusion」、ニギリ・フュージョン、つまり創作寿司です。

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grilled salmon spicy / mild / sweet 

グリルド・サーモン。スパイシー、マイルド、スウィートから選べるわけですね。

私はちょっと昨日の飲み会で炙りサーモン批判を展開してしまい、3ミリくらい反省していたんですが、このニギリ・フュージョンはありだと思うんですよ。

なぜか。

それは、音寿司の師匠(従業員が一番えらい感じの職人を「シショー!」と呼んでいた)が一切サーモンにこだわってないだろうなということが伝わってくるからです。

勘違いしないでください。音寿司が素材に力を入れていないとかそういう話ではない。

画像をよく見てください。サーモンの上にアボカド、マヨネーズ、そしてネギが乗っていますよね。明らかに音寿司が重要視しているのはこれらの諸要素の調和であり、だからこそ「フュージョン」を名乗っているわけです。

アボカドとマヨネーズなんてよくある組み合わせだろと思った方は以下のフュージョンを見てください。

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 salmon and eel with prunes and nuts

 サーモン&ウナギのプルーンとナッツ乗せ

いやあね。確実に我々だったらアナゴとサーモンを別々に握りますよね。フュージョンさせるという発想が出てこない。プルーンとナッツってね、もう、プルーンってあのプルーンでいいのかなと思ってぐぐっちゃいましたからね。

正直画像だけだとゲテモノに見えると思うんですが、これがほんとにフュージョンしてるんですよ。グルメブログではない(?)のでどれだけ説明しても伝わらないと思うんですが、とにかく私はニギリ・フュージョンした後にこう思いました。

四海同胞、と。

サーモンとウナギとプルーンとナッツですよ。

名古屋人が怒りかねないウナギの起用法。

でもね、ひつまぶし(注: ひつまぶし大好きです)で主役を張るのもいいですが、サーモンとプルーンに挟まれて自由に活躍するウナギも見てみたいじゃないですか。ウナギの遊撃隊ですよ。

ちょっとウナギで話が反れましたが、とにかくニギリでフュージョンしたワルシャワでは、無関係な他人を祝福できるような気がしたんですね。

愛していきたい。寿司でね、そういう気持ちになる人が、今後もいたらいいなと思います。だから「四海同胞…」とか寿司食べてるときにボソッとつぶやいても気持ち悪がらないでください。

ワルシャワの音寿司、おすすめです。

寿司ポリスとの密約

 昨日の飲み会で、寿司ポリスが話題に出た。というか出した。

 寿司ポリスというのは以下のアニメである。

https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&cad=rja&uact=8&ved=0ahUKEwji98rpuJTSAhXEe7wKHXrrBlAQFggeMAA&url=http%3A%2F%2Fsushi-police.com%2F&usg=AFQjCNGl-1EIh8YduBc75sBkdSi_0tzr0Q&sig2=3ciHEGBeTlnJg-RVzUynUg

 寿司ポリスの内容は知らないのだけれど、昨今のツイッター的なニュアンスからすれば、寿司警察というと「正しい寿司を取り締まるめんどくさいツイッタラー」を意味しているように思える。

 寿司ポリスの内容は知らないのだけれど、それではいけないだろうという話になった。というかした。

 寿司ポリスは寿司ヤクザと癒着していなければならない。そう思えた。清濁併せのむポリスであってほしいということだ。カリフォルニアロール、いいではないか。カリフォルニアロールがもう一つの規範となっている問題はまた別にあるけれど、正しい江戸前はどんどん崩され、改良されていっていいと思う。改悪になってしまうことが多いだろうが、悪をも愛してほしいと思う。寿司の改悪に目くじらをたてる奴は妻の容色が衰えたときに愛情を注がなくなるに違いない。それはよくわからないが。

 そんなわけで、正直言って3つも記事が続くとは思えないけれど、寿司マフィアとして寿司に対する思いを書いていきたいと思った。「金を稼いでからやれ」という意見も出たが、一年後に死んだとき、寿司マフィアとしての自分を誇れるかどうかで現世への未練が変わってくると予想したので、あとよく考えたらいちおう少しは稼いでいるし、ひとまずやっていく。

 ちなみになぜヤクザではなくマフィアかというと、海外の寿司についても書くかもしれないからというのと、ヤクザは一人の人間を頂点とするが、シチリアン・マフィアやアメリカのマフィアは複数人の指導者層で成り立っていることが多いからである。寿司にただひとつの頂はない。次郎、インターネットアイドルには気を付けろ。