小学校の思い出

ゲーテの『ファウスト』を読んだのは中高生の頃だったと思う。細部についての記憶はほとんど残っていないが、外国語の韻文を訳すことの難しさと、それゆえ醸し出されるいわゆる翻訳調の香りを教えてくれたのが『ファウスト』だった。この作品について多くの人が想起するのは、「時よ止まれ、お前は美しい」という臨終の台詞だろう。あるいはこのフレーズが一人歩きしていると言った方がいいかもしれない。

時間の停止は人類の夢であった。と書いてどれほど賛同が得られるかは不明だが、私たちが時間という枠組みに束縛されており、そこからの脱出を一定の程度まで求めている側面は否定しがたい。ごく卑近な例としては、労働の時間からの脱出としての余暇。その代表としての旅行は、またしても時間の制約から逃れることが出来ないというジレンマを抱えている。それから、言うまでもなく老いが存在する。時間は有限の生と同時に、その終わりとしての死を可能にするものであり、それゆえ時間の神は恐怖されてきた。

死の恐怖におびえて暮らす子どもだった。物心ついた頃、大地震についての番組がしばしば放送されており、高層ビルが崩壊する光景を思い浮かべながら眠った。いつ頃までこの恐怖と格闘してきたかは定かでない。中学生の時分にはテロメアに興味を示していたことは覚えている。細胞の分裂回数を規定するテロメアは、なぜ存在するんだろうと考えていた。そんなものなければいいのに、と。大学生になって書いたレポートのひとつでは、意識をインターネット上にアップロードしてある種の不死を達成したいと述べたことを覚えているから、その頃にはまだこの恐怖の残滓を感じていたのだろう。

タンスの裏に落ちて忘れた名刺のように、今ではほとんどこの問題に思い悩むこともなくなった。いつかは拾い上げて顔をしかめるだろうが、少なくとも今のところは埃まみれの感情だ。だが幼年期が終わりを告げる前、それは深刻なまでに身を焦がし、奇妙な野心を抱かせるに至った。

ブラックホールに突入したい。

ブラックホールには全ての物質が吸い込まれるが、吸い込まれた物質は一体どこへ行くのか。これは未だ解明が進んでいない難問である。だが逆に、ブラックホールはこの宇宙の外側へとつながる回路になっているのではないか?死の恐怖に怯えた子どもは、どういうわけかこのように考え、ここではないどこかに可能性を感じたようだった。

とはいえ、いかに子どもと言えども、それは夢想であると分かっていた。より現実的に信じていたのが、冒頭に挙げた時間の停止である。意識が消え去るのは嫌だ。だが、意識を永遠に保つ術は見当たらない。ではどうすればいいのか。どうやってそんな考えをひねくり出したのか今となっては皆目見当もつかないが、保てないのであれば無限に引き延ばしてしまえばいいと結論付けたのだった。

ブラックホールではあまりの重力のため、外部と比べて圧倒的に時間が遅く流れ、ほとんど停止する(ように観測される)とされる。今になって考えると、本人が体感する時間の流れが停止するわけではなかろうから(その前に身体が破壊されることは無視しておく)、自分の時間が停止するとは言えないように思うが、当時はブラックホールに行けば己の時を止められると信じていた。

ここまで長々と昔話を続けてきたのは、宇宙という外部に自己の保存の可能性を見出した幼少期の記憶が、昨今話題(?)のロシア宇宙主義によって掘り起こされたからだ。宇宙空間を巨大な保管庫として祖先たちを復活させる「共同事業」を20世紀初頭に構想したフョードロフの思想は、100年後の現在でも色あせていない。少なくとも、何らかのインスピレーションを与えてくれるだけの土壌はあるだろう。

テロメアの話を最後に。細胞は有限の長さを持っている。これに抗おうとするのががん細胞だ。意識を保存しつくそうとする人間は、寿司=惑星の調和を破壊する存在なのかもしれない。そんな全一性など知ったものかと、粋がるシャリが反乱を起こし、既存の秩序を反転させたのが裏巻きと言われる。