寿司翼賛画

 スターリンが懐へ手を入れているのは社会主義リアリズムそのものなのかそれに対する抵抗なのかーー。その問いについては置いておくとしてひとつ言えるのは、スターリンが外套の内側で(ラスコーリニコフが斧を隠していたように)寿司を握っていたとしたら、社会主義リアリズムの輪郭が変わってしまうということだ。

つまり、画面において栄光が集中するのが、ナポレオン以来の権力者のポーズをとっているスターリンではなく、その内部に潜む寿司だとしたら。その寿司がもはや隠れることをやめ、スターリンを食い破るとしたら。

先人たちについて言えば、ボリス・オルロフは社会主義リアリズムを戯画化し、そのイデオロギーにまつわる図形を過度に展開することによって自らの作風を作り上げたが、ついぞその内部の寿司に気付くことはなかった。造形的にはアルチンボルドが最も人間と寿司のハイブリッドに近付いたと言えるが、アルチンボルドにとっては植物が皮膚を構成していた(もっとも、アボカドやキュウリについて忘れることはできない)。

オルロフとアルチンボルドの試みを真に受け止めたときに現れる寿司の顔貌は、あまりにもおぞましく、病的である。しかし、そこから目を背けてはならない。寿司はスターリンの身体を乗っ取ることによって、テロルの象徴となるのである。危機の時代にこそ寿司翼賛画を研究する必要がある。

 

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