余計者、次郎。

私たちはやる事があってここで唄ってる。

ゴールデンウィークが終わった。たしかに終わった。5月5日までは論文を書いていた。締切が5月5日だったからである。5月5日までは論文を書いていた。その後、6日7日を経て今が8日なわけだが、6日7日の土日に遊びを詰め込んだ。遊びを詰め込んだんだ。6日は飲み会をこなしてから友人宅で夜通しパーティーをし、そのまま7日の昼間にカラオケをするという詰め込み具合だった。その一次会のことだった、彼が次郎に行くべきじゃないかと問いかけてきたのは。

次郎とはもちろん、寿司界の最高峰、すきやばし次郎である。電話しながら書いているので詳細は省くが、3万円だ。彼はすきやばし次郎の映画を見て感化され、次郎が高齢になった現状、次郎の死の前に食べに行くべきではないかと問いかけてきたのだ。目を開かされる思いだった。なぜなら、次郎について本気で考えたことなど皆無に等しかったからだ。次郎よりも天皇の方が心理的距離が近いくらいだった。いかんせん3万円である。非社会人(生まれて初めて見る単語だ)にとって、一回の食事で、あるいは何事であれ一回のイベントで3万円の出費というのは、村を焼かれたことがあるくらいの因縁がなければ出せない。村も焼かせたままにするかもしれないくらいだ。それを機に村から出れたと思うのはサイコパスだろうか、生きるための記憶の肯定だろうか。

本当に生きる上で必要なのか。どうしてもそう考えてしまう。そして、結論を言えばやはり必要ないということになる。次郎の寿司が無ければ輝かない生などゴミクズのようなものだ。次郎は余計者なのである。そもそも寿司自体、日々の生活のなかでなくても問題なくやっていける類の料理だろう。毎日寿司が出て来たら受け入れられない人もいるに違いない。だが、余計者であればこそ、やはり認め、味わう必要があるのではないか。思えば寿司マフィアも完全に余計者である。そう、2017年5月6日土曜日、寿司マフィアはなんか微妙に仲がよろしい感じの男女プラス寿司マフィアという3人での会をはしごした。なんか微妙に仲がよろしい感じの男女プラス寿司マフィアという3人での会をはしごしたのだ。完全にヨケイモノである。寿司マフィアがいない方がよっぽどうまくいくのではないかとよく思う。まあしかし、寿司マフィアがいるときにしか生まれない話題や空気や楽しみ方というのもあるだろうし、余計さがうまく機能することもあると思うんだ。5月6日から7日にかけてはそうだった。というわけで、自己弁護も含めて、やはり余計者を認めない世界は危うい。2の世界+αではなく、アナザー寿司ワールドなのだ。そうだ、そうしよう。2の世界も作っていけよな。というわけでやっぱりすきやばし次郎は行けるなら行くべきだと思う。行きたいよ。と思って調べたところ。

本店のご予約について

日頃よりすきやばし次郎本店をご愛顧いただきまして、誠にありがとうございます。

 

現在ご予約が取りにくい状態が続いており、お客様には大変ご迷惑をおかけしております。

客席が10席ほどの店舗でございますので、今後もこの状態が続きそうです。

大変勝手申し上げますが、当分の間お電話でのご予約は見送らせていただきたいと考えております。

 

なお、海外よりお越しのお客様は、ご予約の日時にご来店いただけないことがあり、ご宿泊先ホテルのコンシェルジュを通してのみのご予約とさせていただきます。

 

できますことなら、すべてのお客様にご来店いただきたいと存じますが、このような事情であることをお汲み取りいただき、ご理解いただけますようお願い申し上げます。

 

すきやばし次郎 店主

こんなことを考える前にカフカの城状態だった。どうすりゃいいんだ。どうすればいいのか具体的なコメントは募集してません。