Not for me

焼きマフィアに村を焼かれた。北斗の拳の雑魚キャラをイメージしてもらえばいいと思う。回転寿司の炙りネタの野蛮さをよく示している。もちろん野蛮さを批判したいわけではない。ところでモスクワの寿司屋ではロール寿司を天ぷらのように揚げたものを見かけたが、炙りスタイルは世界に通用しないのだろうか。通用しないでほしい。揚げて揚げて、揚げに揚げてほしい。テンプラロールは油の味がしました。

炙りとテンプラロールの存在は、寿司をトーテムとする部族が一枚岩でないことを示している。というよりも正確に言えば、寿司の神話は単一にして絶対なのではなく、生ものと火を通したもの、あるいは生ものと腐ったものというありふれた軸の上を彷徨っている。

これほどハレの日と結びつけられるにもかかわらず、いまだ寿司の神話は紡ぎ出されていない。というよりも、それが神話であると認識することが妨げられていると言ってよい。わたしは寿司を食べていない期間のことを意識しようと思いつつ生きているが(詳しくは「3月ときどき日記」を参照)、このように自らの寿司を書きとめる営みもまた、寿司を神話化する道のひとつだろう。

もちろん神話化とは、安直な神聖化のことではまったくない。生きるための神話である。誰がなんと言おうと、このブログは寿司によって生きるために書かれているからして。