日本寿司振興会

【これまでの研究】

 申請者のこれまでの研究は、寿司におけるサーモン偏重主義の批判から始まった。先行研究においてはサーモンを炙る、カルパッチョにするなどのサーモンがメインである前提での多様化が目論まれてきたが、サーモンへの拘泥は全体としての寿司の多様化をかえって妨げてしまう危うさを抱えている。そのためサーモン以外のネタの持つ個性を再考する必要が生じた。

 申請者は北海寿司大学に所属する地の利を活かし、修士課程在学中から釧路発の回転寿司に足を運んだ。その結果、当地ではサーモンだけでなくサバなどが重要な戦力となっていることが明らかになった。とりわけ、関東ではほぼ目にすることのない「たこまんま」すなわちタコの卵という珍味の存在はひときわ光るものがあった。こうした北の寿司ネタたちを食すことで、これからの研究への道筋が開かれた。

【これからの研究】

 これまでの研究において申請者は北の海ならではの味覚を発見したが、これらのネタをプッシュしていくだけでは、これまで取り組んできた問題が改善されたことにはならない。そこでこれからの研究においてはより広範な寿司へと目を向け、寿司のイメージ論の構築を試みたい。

 ボリス・グロイスは、「まさに、内在的で純粋に美学的な価値判断がいかなる意味でも不在であることによってこそ、芸術の自律性は保証される」という視点を打ち出した。簡単に言えば、「自律的な芸術」というお題目のもとに通常理解される「自律的な価値判断」は、外部の権力によって他律的に生じたものではないかということである。従って、芸術とはあらゆるイメージ、媒体、形式の平等性の確証の場でなければならないとグロイスは言う。そうして彼はイメージ産出機械としてのマスメディアとの抗争に我々を駆り立てる。

 グロイスの主張と寿司を別個に思考することはできない。我々は実際、マスメディア的な寿司のイメージに踊らされているのだ。サーモンではなくサバというオルタナティブも、結局のところはイメージのヒエラルキーという舞台上での狂言に過ぎなかった。必然的に、求められているのは寿司の平等性の確証であるということになる。北海道にとっての特産品としてのサバが重要なのではない。現実に不平等である寿司の世界において、それでもなお平等さを保証しようとする寿司の場こそが目指されるべきなのだ。芸術、そして美術館という場に比べれば、寿司のイメージ産出力など無力であるという反論もありえるだろう。しかし、寿司は感触を作り出し、人間に咀嚼を要求する。それが「炙りサーモンはうまい」という既製のイメージに回収される前に、その都度平等な寿司を求めていくことこそが、これからの研究の主眼である。