帝国の寿司

ロンドンに行った。これまでの人生であまり英国に興味を持ってこなかったが、いろいろな場所を回りいろいろなものを見るにつけ、帝国の力に恐れおののくと同時に感じ入るところがあった。大変勉強になったのだが、それはここでは置いておき、寿司の話をしよう。イギリスが階級社会であることは有名だ。それは寿司の分野にも及んでいる。寿司王族もいるわけだが、彼らがどんな寿司を食べているのか、それはついぞ我々の知るところではない。外国人ということで貴族の寿司屋に潜り込めるかとも思ったが、やはりそういうことはなく、そこへ向かう道は工事によって阻まれていた。踵を返して少し戻ると、「カッパ」という寿司屋が姿を現す。入口に「居酒屋」と書かれた提灯があるところを見ると、本格的な日本料理を出しつつ庶民的な価格に収まるような店なのだろう。そこには王族がいた。信じられないかもしれない。寿司マフィアも信じがたい。しかしこの舌で感じてしまったのだ。もちろん女王などと言うつもりはない。それはあり得ないし、おそらくはわかりえない領域だろう。だが、強いて言うならばイギリス王位継承権第36位、アメリア・ウィンザー令嬢のような寿司がそこにはいた。モスクワで食べて満足していたロールたちとは違う。なんだこれは。形容はやめよう。ひとしきり泣いた。

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気付くと、二階建てのバスの中にいた。行先は寿司サンバ。それはまあ、これだけの寿司があるのであれば、サンバにもなるだろう。ひとしきり踊った。

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寿司サンバのネオンの円がどんどんと光を増し、寿司マフィアは目をつぶらざるをえなくなった。カーニバルの音も止んだころ、そっと目を開けるとロンドンの様子が一変していた。というよりも、自分の視界がおかしいのかもしれない。誰かの声が聞こえてくる——この作品はイスラム化する未来社会への西洋人への恐怖を予言した——彼らにはこの寿司細密画が見えないのだろうか?寿司マフィアの過去記事をご覧いただければわかることだが、ケバブ的なものとロール寿司的なものの融合はすでに起きていた。この寿司の求心力はついにヨーロッパを席巻し、イスラムのこれまでのイメージを払拭するためのシンボルとしてイスラム教とすら和合し、ロンドンのアーティストたちはこぞって寿司細密画によってヨーロッパ、イスラム、そして寿司の調和を表現するようになったのだった。ロール寿司の側も、これまではロールの縁と中心にのみ意識が向いていたが、さらにその外にある装飾という領域もまた寿司であるという気付きを得たのだった。

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目が覚めると「わさび」という庶民的なコンビニのような寿司屋の前にいた。隣には無印良品がある。ここはどこなのだろう。吸い込まれるように中へ。これは知ってる味だ。モスクワを思い出す。すべては夢だったのだろうか。サーモンがふつうにおいしかった。

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