寿司ポリスとの密約
昨日の飲み会で、寿司ポリスが話題に出た。というか出した。
寿司ポリスというのは以下のアニメである。
寿司ポリスの内容は知らないのだけれど、昨今のツイッター的なニュアンスからすれば、寿司警察というと「正しい寿司を取り締まるめんどくさいツイッタラー」を意味しているように思える。
寿司ポリスの内容は知らないのだけれど、それではいけないだろうという話になった。というかした。
寿司ポリスは寿司ヤクザと癒着していなければならない。そう思えた。清濁併せのむポリスであってほしいということだ。カリフォルニアロール、いいではないか。カリフォルニアロールがもう一つの規範となっている問題はまた別にあるけれど、正しい江戸前はどんどん崩され、改良されていっていいと思う。改悪になってしまうことが多いだろうが、悪をも愛してほしいと思う。寿司の改悪に目くじらをたてる奴は妻の容色が衰えたときに愛情を注がなくなるに違いない。それはよくわからないが。
そんなわけで、正直言って3つも記事が続くとは思えないけれど、寿司マフィアとして寿司に対する思いを書いていきたいと思った。「金を稼いでからやれ」という意見も出たが、一年後に死んだとき、寿司マフィアとしての自分を誇れるかどうかで現世への未練が変わってくると予想したので、あとよく考えたらいちおう少しは稼いでいるし、ひとまずやっていく。
ちなみになぜヤクザではなくマフィアかというと、海外の寿司についても書くかもしれないからというのと、ヤクザは一人の人間を頂点とするが、シチリアン・マフィアやアメリカのマフィアは複数人の指導者層で成り立っていることが多いからである。寿司にただひとつの頂はない。次郎、インターネットアイドルには気を付けろ。