モダンアート

モダンアートについて話そう。

絵の話はしない。ボードゲームである。

モダンアート (Modern Art) 日本語版 ボードゲーム

モダンアート (Modern Art) 日本語版 ボードゲーム

 

ご存知の方はご存知の通り、競りを通して5種類ある画家の価値を高めていくゲームだ。計4ラウンドの競りを行い、一度高い値が付いた画家はどんどん値があがっていくシステム。 巨匠ライナー・クニツィアの三大競りゲームのひとつであり、最高峰のボードゲームのひとつであると言っても過言ではない。個人的には相場をもとにしたソリッドなせめぎ合いが楽しいと感じるが、競り落としたいがために大枚をはたいて負ける愉快さも味わえる。

モダンアートについて紹介される際、しばしば言われるのは資本主義の原理を体感できる云々という話だ。どの画家が高騰するかは美学的な判断ではなく、どれだけ過去に価値をつけられたかによって決定されるので、たしかにそういった一面はある。だが、このゲームの肝はどの画家に投資するか、他のプレイヤーと暗黙裡に探り合うところにある。もちろん最終的には自分がもっとも得をしたいので、共通の価値を作りつつどこかで差をつけなければならない。言い換えれば、他人に得をさせつつ自分はもっと得をすることを目指すゲームなのだ。どこまで同じ船に乗っているかわからない感覚、それが面白い。

さて、モダンアートのシステムと似通っているものが寿司界にも存在する。2人で行く回転寿司である。正確に言えば、2人で行って皿を分け合う機会が発生する回転寿司。仮説を提唱するならば、わざわざ回転寿司の皿に2個(貫については意味が揺れるので個を使った)寿司が乗っているのは、分け合うことを可能にするためなのではないか。当然ながら、すべての皿を分け合うことはそう多くないだろう。お腹が膨れてきた時、とりわけおいしいものがある時、あるいは逆にいまいちだった時、それを分け合うという選択肢が出てくる。一緒に食べに行くのだから、それなりには仲が良いのだろう。基本的に相手にはおいしいものを食べてほしい。しかし自分が最大限おいしいものを食べたいという気持ちもまた確かにある。さあ、どのネタを分け合うか。このようにモダンアートと回転寿司は似ている。現在2680円。値段も似たり寄ったりである。

最後に誰かと2人で回転寿司に行ったことを思い出す。完全に別々に食べたような記憶がある。常にゲームが遊べるわけではないのだ…。なにはともあれモダンアートは傑作です。

日本寿司振興会

【これまでの研究】

 申請者のこれまでの研究は、寿司におけるサーモン偏重主義の批判から始まった。先行研究においてはサーモンを炙る、カルパッチョにするなどのサーモンがメインである前提での多様化が目論まれてきたが、サーモンへの拘泥は全体としての寿司の多様化をかえって妨げてしまう危うさを抱えている。そのためサーモン以外のネタの持つ個性を再考する必要が生じた。

 申請者は北海寿司大学に所属する地の利を活かし、修士課程在学中から釧路発の回転寿司に足を運んだ。その結果、当地ではサーモンだけでなくサバなどが重要な戦力となっていることが明らかになった。とりわけ、関東ではほぼ目にすることのない「たこまんま」すなわちタコの卵という珍味の存在はひときわ光るものがあった。こうした北の寿司ネタたちを食すことで、これからの研究への道筋が開かれた。

【これからの研究】

 これまでの研究において申請者は北の海ならではの味覚を発見したが、これらのネタをプッシュしていくだけでは、これまで取り組んできた問題が改善されたことにはならない。そこでこれからの研究においてはより広範な寿司へと目を向け、寿司のイメージ論の構築を試みたい。

 ボリス・グロイスは、「まさに、内在的で純粋に美学的な価値判断がいかなる意味でも不在であることによってこそ、芸術の自律性は保証される」という視点を打ち出した。簡単に言えば、「自律的な芸術」というお題目のもとに通常理解される「自律的な価値判断」は、外部の権力によって他律的に生じたものではないかということである。従って、芸術とはあらゆるイメージ、媒体、形式の平等性の確証の場でなければならないとグロイスは言う。そうして彼はイメージ産出機械としてのマスメディアとの抗争に我々を駆り立てる。

 グロイスの主張と寿司を別個に思考することはできない。我々は実際、マスメディア的な寿司のイメージに踊らされているのだ。サーモンではなくサバというオルタナティブも、結局のところはイメージのヒエラルキーという舞台上での狂言に過ぎなかった。必然的に、求められているのは寿司の平等性の確証であるということになる。北海道にとっての特産品としてのサバが重要なのではない。現実に不平等である寿司の世界において、それでもなお平等さを保証しようとする寿司の場こそが目指されるべきなのだ。芸術、そして美術館という場に比べれば、寿司のイメージ産出力など無力であるという反論もありえるだろう。しかし、寿司は感触を作り出し、人間に咀嚼を要求する。それが「炙りサーモンはうまい」という既製のイメージに回収される前に、その都度平等な寿司を求めていくことこそが、これからの研究の主眼である。

 

Digital Devil Sushi Saga

「寿司に噛み付き、屠り、喰らえ」

稲妻のようにこの言葉が脳に憑りついたのはいつのことだったか。それまで意識なんてなかった、と今になって思う。感情も。それは喜ばしいことなのか、悲嘆に暮れるのが正しいのか。いずれにしても寿司を、すなわち同胞を喰らうことへの欲求と共に俺たちは寿司として目覚めた。飢餓と共に、生まれた。

 俺たちがライスヤードと呼んでいるこの世界は六つの部族が支配しており、抗争が絶えることはない。なぜかといえば《教会》がそう命じるからだ。互いを屠り、より強い寿司となった者にだけ、ニギリヴァーナへの道が開かれる。今日はそれぞれの族長が集まる《礼拝の日》だ。この日ばかりは敵愾心を抑えなければならない。堅固な守りで知られる「ブルー・シュリンプ」のクルマ、最大勢力「スパライダ」のウワジマ大佐(彼はなぜか大佐というよくわからない称号を名乗っている)、「カリマール」の臆病者トンビ、唯一の女性である「ホンビノス」のメレトリクス、第二位の勢力「スコンブリデ」の鯖法師、そしてわれらが「セリオラ」のリーブ、つまり俺。この場所以外で六人が集まれば、誰一人無事に帰ることはできないだろう。だが、《教会》の権威は俺たちの敵愾心の上を行く。ニギリヴァーナへ行くためにはその法に従わなければならない。

「今日この日から、新たなルールを追加する。ニギリヴァーナへ行けるのは、ワサビシャーマンを確保し、ライスヤードの覇者となった部族だけだ」

《教会》の中心に置かれたスピーカーから、予想だにしない言葉が流れる。メレトリクスがすかさず質問した。

「ワサビシャーマンとはなんだ?」

「お前たちの欲望をコントロールする薬とも言える存在だ。彼女を制した者がこの世界の覇者となる」

スピーカーがこれ以上質問に答えることはなかった。六人は思い思いに《教会》を立ち去り、この日からワサビシャーマンの捜索と争奪戦が始まった。ちょうどこの頃、俺たちは自分の欲望を深く認識すると、魚に近い化け物に変身できることに気付いた。魚に近いと言っても、人によって形は様々だ。生き物ですらないような、霧のような物体に変身する奴もいた。俺の場合は、黄緑と薄緑の筋が入った魚人のような姿になった。俺たちはこの変身を「寿司化」と呼ぶことにした。

ある日、「カリマール」との係争地帯でトンビ率いる部隊と牽制し合っていると、空から巨大な軍艦が降ってきた。まだ寿司化を知らないトンビの兵を喰らった後、恐る恐る海苔を剥がしてみると、敷き詰められた米の上に緑色の髪の少女が横たわっていた。間違いない、ワサビシャーマンだ。だが意識はないようだ。遠くからトンビのかすれた声が聞こえる。

「お前ら…今、喰ったよな!?怖え、お前らバケモンじゃねえか!嫌だ、食われたくない、ワサビシャーマンなんか知らねえけど、ゼッタイニクワレタクネエ!」

彼にも恐怖という形で感情が芽生え、そのことで寿司化が可能になったのだろう。巨大なイカへと変身したトンビを、俺たちはなんとかして倒し、喰らった。そこまではよかったが、トンビを食べ尽くしても渇きが収まらない。味方がエサに見えてきた頃、リズミカルな歌が聞こえてきた。


ORANGE RANGE - SUSHI食べたい feat. ソイソース

ひと通り踊った。

踊り狂うと、不思議と渇きは癒えた。ようやく緑髪の少女が歌っていたことに気付いた俺は、彼女に声をかけた。彼女は当初なかなか心を開かなかった。それもそのはずで、記憶がなかったのだ。俺たちは彼女の記憶を取り戻そうと誓い、そうこうするうちに彼女は大事な仲間になっていった。振り返ると、この頃の俺たちはつらい環境の中で団結し、青春と呼べるような充実した日々を送っていたと思う。奇襲を受け、少女が誘拐されるまでは。すぐに敵はわかった。

鯖法師だ。

 

 

寿司転生

色々あってトラックに跳ねられた。久々の寿司ランチだと思ってはしゃいでいたのがまずかったか。それにしたってあれはひどい。やりきれない人生にやけになった若者の犯行としか思えない。楽しみにしていた麻布十番の寿司が食べられないなんてどうしてくれるんだ。

という風に考えられるのもなぜか俺が生きているからだ。それも見知らぬ草原に横たわって。青空を見つめて。代々木公園に向かっていたわけじゃないんだが。どうなってるんだ。だが聡明な俺はすぐに気付いた——異世界転生ってやつだこれ。となればやることは一つ。

「ステータス!」

予想通り、目の前に半透明のボードのようなものが展開される。それによれば、俺のステータスは以下の通りだった。

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寿司マフィアLv.1

ランク:銀のさら

スキル:配達(Lv.1)申請書(Lv.1)

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え?

もっとこう、戦士見習いとか、そういうのではないのか……。気を取り直して、スキルで何ができるのかを確認していく。配達スキルは効率よく物体を移送できるらしい。瞬間移動ではなく、物体を寿司桶に入れると浮かんで運ばれていくようだ。なんだか奇怪だし、そもそも寿司桶がない。申請書スキルは……これはすごい!所定の書類を10枚ほど書くと、そこに書かれたことが実現するらしい。ドラゴンボールのようなスーパースキルだ。ただし、文章がうまくないと実現しないらしいので、そこは注意が必要だ。なお、このスキルを認識した途端なぜか手にペンを握りしめていた。しかも何やらインクが切れる気配もない。すごい。すごいのだが、なぜインクが切れないことがわかったかというと、それだけの回数この申請書を書いたからだ。まずは寿司桶がないことには配達スキルが活かせないので、寿司桶を申請したいのだが、寿司桶が必要な理由を10枚も書けないので何度も書き直している。修正ペンがないので一回間違えただけで書き直しだ。修正ペンも欲しいがそれも10枚書ける気がしない。

こんなことをしていたら腹が減ってきた。そりゃそうだ、異世界でも腹は減る。寿司桶の前に何か食料が必要だ。スキルいじりをやめて周りを見渡すと、遠くに人影があった。どうやらあちらもステータスに夢中になっているようだ。近づいて声をかけてみよう。

「ハチャー」

なんだろう、奇妙な呪文を叫び始めた。え!?いつの間にか彼の手にはパンのようなものが現れた。すごい、なんて有用なスキルなんだろう。ぜひともお近づきになりたい。

「すみません、もしかしてあなたも転生者ですか?よければ協力できないかと思うんですが」

こうして俺はハチャプリシヴィリと名乗る男と行動を共にすることになった。相変わらず申請書スキルは有効活用できないままだが、ハチャプリというチーズナンのような料理を運ぶのに配達スキルは恐ろしく役立ち、近くにあった町で俺たちは成功し始めていた。そんな時だった、隣町がドラゴンに襲われたというニュースが流れてきたのは。これは生命の危機だ。俺たちは協力して、ついに10枚の申請書を書き上げた。俺たちが求めたのは、「ドラゴンをなつかせるハチャプリ」。ハチャプリシヴィリのハチャプリ生成スキルが上がっていたこともあり、いけるような気がした。だが結果は、思いもよらぬものになった。

面接。

申請書スキルを管理する団体のもとに赴いて面接を受けなければいけないという。そんなことをしていたらドラゴンが来てしまう。というか実際に来てしまったけれど、王都の騎士団が撃退してくれた。なんという空回りだ。ちなみに面接までしたのに採択されなかった。もっといいシステムにできるだろ!

 

復活

僕がロッポンギにあるポールスミスに足を踏み入れると、予想に反してそこに見えたのはいくつかの人影だけだった。全国のスシ・マスターが集まるという話ではなかったのか。もしかすると、はめられたのか。その疑念をかき消すように、入口脇に控えていた緑の派手なスーツ姿の男に呼びかけられた。

「チーズナンの亜種といえば?」

「ハチャプリ」

「では小籠包の亜種は?」

「ヒンカリ」

「よろしい」

この国のほとんどの人間は、チーズナンも小籠包も知らない。だからこそ、同志を確認するための合言葉にはうってつけだ。とはいえ、それで疑念が完全に消えたわけではない。当局にかぎつけられ、スシ・マスターを一網打尽にする罠でないとはまだ言い切れない。取調室のような別室に通され、神経質そうなメガネの中年男の前に座らされた時には、仲間のことだけは漏らすまいと覚悟を決めかけていた。

「我々が欲しいのは、利益をもたらす人間です。あなたがスシについて関心を持ち、調査を行っていることは知っています。ただし我々としても、興味があれば無条件で仲間に入れるというわけではない。そこでひとつ、条件を課すことにさせてもらいます。サヴァンコフの『蒼ざめた熊』は読みましたか?」

「数年前ですが、一読したはずです」

「あれを読めばわかるように、テロリストにはテロリストの抒情がある。そうですね?ですが、我々が求めているのはそういった抒情ではない。テロルを詩と結びつけるつもりは毛頭ない。サヴァンコフはある意味では非常に善良な人間だったが、彼のようなテロリストは我々には必要ないのです。結局のところ、彼らの集団はサヴァンコフの逮捕のあとに瓦解しましたしね。ああいった人間を排して、理知的な派閥を作る必要がある。あなたの人柄やこれまでの実績は問いません。むしろこれまでの活動は足枷にもなりうる。新しく、我々の組織に忠誠を誓う必要があります。それも理知的に。ただし誓わない場合にはどうなるか保証はできかねます」

支離滅裂だ。こんな集団にいてもスシの未来があるわけがない。逃走する前に、最後にこれだけは聞いておこう。

 「すみません、あなたの言っていることはよくわからないのですが、ひとつだけ質問させてください。スシが振る舞われるのではなかったのですか?」

スシの代わりに銃弾を浴びて僕は死んだ。しかし、サヴァンコフも僕もいつかは復活するだろう。亡霊としてであれ、何であれ。

ポールスミススシ(1)

ポールスミスでスシが振る舞われるという。それもロッポンギで。言うまでもなく、これは歴史的出来事だ。なにせ、僕らは奪われてきたのだから。ロッポンギと言えば過去には繁華街として栄えたが、寿暦28年の敗戦の際にスシ禁止令が議決された場所だ。それ以来、僕らは我が国の象徴であるスシを掲げることが出来なくなった。今こうしてこのポールスミススシについて書くことが出来るのも、この原稿が外国人の友人によって公開される予定だからだ。そうじゃなければとても、名前すら出せない、寿司なんて。

禁止令の公布からもう何十年経ったのか。この国はハチャプリ帝国に染まりに染まり、僕らは徐々にスシのことを忘れ始めている。「マグロ」や「サーモン」が赤い色をしたスシであることは古い雑誌を紐解けばわかるのだが、その味の違いについては老人たちに聞いても腑に落ちない。食べたことがないのだから、当たり前といえば当たり前なのだけど。そもそも、禁止令の存在を知っている人自体がほぼいないのだ。若者たちは、「スシ」と聞いてもせいぜい具と形の違うハチャプリくらいに思うだろう。それくらい、僕らの想像力はチーズとパンに侵されている。

僕がスシについて調べ、外国のスシ団体とひそかに連絡を取るようになったのは、大学時代の恩師がきっかけだった。大学で文学部に進んだ僕は、圧倒的大多数の学生たちと同じように、何も考えずにハチャプリ文学科に入った。何はともあれハチャプリ様様というわけだけど、実際のところ、ハチャプリを崇拝していたわけでもなかった。ただ目に入りやすい選択肢だっただけだ。ハチャプリ文学を学ぶのは悪くなかった。国民詩人であるアジャルスキーの『ブルーチーズの騎士』は、それを教えてくれた教授の愉快な人柄もあったのかもしれないけど、実に面白く、「突風」というイメージに注目することでハチャプリ帝国のダイナミクスを感じることが出来た。まあだから、つまるところ僕はそこまでハチャプリを憎んでいるわけではない。というか、ハチャプリ文学を学んだからこそ、スシへの道が開けたとすら言ってもいい。

話を戻そう。そう、アジャルスキーのその教授とは別の―—念のため専門は伏せておく―—教授のゼミに出ていた頃。そのゼミは人数が少なく、自分を入れて3人しかいなかったのだけど、偶然にも残りの2人が病欠した日があった。ユーモラスなある作品の講読で、その日は町中のハチャプリがひとりでに歩き、いっせいに消え去ってしまうというシーンだった。僕は言った、何気なく。

「ハチャプリが無くなってしまったら、今度は別の郷土料理を作らなくちゃいけないですね。まあ結局はパンしかないわけですけど」

友達のように親しみやすい若い教授だったからというのもあるだろう。完全に気の緩んだ放言。先生は笑って次の個所に進むかと思いきや、笑みを消した後に沈黙した。

「……えーと、では次に行きます」

僕がハチャプリに飽き飽きしてることがわかったんだろう。次の個所を読むことはなかった。代わりにスシの存在を明かされ、もちろん口外禁止を徹底されたうえで、その日からスシについてのレクチャーが行われることになった。復帰してきた2人の前ではハチャプリ文学を読む。先生とはスシについて語る。こうして、ハチャプリとスシという二つの文化が、自分の中で二重に存在するようになっていったのだった。

 

 

食べログTOP10レビュアー魯山人

 東京ほどマグロを食べるところはないだろう。マグロで一番美味いのは、なんといっても青森の大間のマグロである――ということになっている。私の経験においても、これがサイコーである。しかしこの大間のマグロというの、いつでもあるとはいかない。ここ以外で捕ったものは、とうてい大間のマグロのような美味さがないので、大間ものは珍重されている。
 マグロの中で一番微妙なのは、ビンチョウマグロという飛魚のような長いヒレを備えているもので、これは肉がべたべたとやわらかく、色もいやに白く、その味もわるい。とうてい美食家の口には問題にならぬ代物である。しかし、回転寿司では安価ゆえかよく登場する。気分によっては、意外と悪くない気もしないでもない。一時は盛んにアメリカへ輸出されて、油漬けにしてサンドイッチに使ったという話もある。ビンチョウマグロの側も何かを感じたのか、なぜかアメリカの近海を泳ぐようになったので、輸出しようとした日本の業者が残念がったようだ。あとはカジキマグロ、キハダマグロ、メジマグロなどがある。メジはカツオみたいなものだ。キハダやカジキは冬場は台湾から来るもので、たいしておいしくない。夏に沼津や小田原あたりからくるのが江戸前というもの。マグロの産地をよく知ると色々と楽しみが深くなる。

 トロの場合にはワサビの辛さが脂肪で飛ばされてしまうので、やたらとサビを利かせようとする客もいるが、マグロが安いときにはワサビのほうが高くつくこともあるくらいなので、商売あがったりというやつだ。そんな時はサビ抜きにせざるをえないけれど、マグロはちょっと臭みがあるものなので、そういう時でもショウガくらいは乗せたいものだね。

 結論を言えばマグロなんてのはいわばB級グルメであって、もとから一流の食通を満足させるようなものではない。いかに最上の大間のマグロといっても、たかの知れたうまみに過ぎない。