ロシアの寿司屋

この間、テレビでロシアの寿司屋が紹介されていたようだ。人づてなので詳細はわからない。奇天烈な海外の寿司を揶揄する内容でなかったことを祈る。そういうわけで、ロシアの寿司について。

言うまでもないが、ロシアの寿司はいわゆるロール寿司が主流である。もちろん中には日本人のやっているちゃんとした寿司屋もあるが、だいたいそういう店は高い。ホテルに入っていたりもする。個人的には、わざわざ海外で日本の伝統を守った寿司を食べる必要もないと思っているので、そういう店は開拓していない。あしからず。

学部のときに約1年モスクワに留学した際に、世話になったのが寿司屋だった。某モスクワの大学寮には多くの日本人が留学しており、寮でも(とりわけ交換留学の場合)アジア人ゾーンにぶちこまれることが多い。そのため必然的に共同体が出来上がるわけだが、見事にそこからあぶれ、半ば敵視されていたのが寿司マフィアだった。そんなとき、いつでも寿司はあたたかく迎えてくれた。正確に言うと温度としては冷たかったのだが。

人によって好みは分かれるところだが、寿司マフィアがいちばん通っていたのはプラネタ・スシというチェーンだった。ここは比較的握りに力を入れていて、そこそこのロシア感とそこそこのジャパニーズ寿司感をどちらも味わえてよかったのだ。それから、何より大事なことだが、セットメニューがわりとコスパが高かった。中でも軍艦セットがお気に入りだったのだが、去年か一昨年にモスクワに行ってプラネタ・スシを再訪した際、寿司マフィアは衝撃を受けた。お得なセットメニューが一掃されているではないか。海苔の代わりにキュウリで巻いたあの微妙においしくない軍艦が食べられない!絶望である。普通のカリフォルニアロールとトムヤムスープを頼んだ。あとタルフーン(ロシアの緑色の炭酸飲料)。

それにしても、自分の舌が肥えたのか、プラネタ・スシの味に全く満足が出来なくなっていた。これはこれでいい。それほど当時の自分は窮地に陥っていたということだし、また人を支えるにはそれくらいの寿司で十分だということでもある。あるいはこう言うこともできるかもしれない。短期滞在では寿司を味わうことは不可能なのだと。寿司だけが、もう一度モスクワに住む気を起こさせてくれる。

ちなみにもう一つの有力なロシアの寿司屋はドヴェ・パーラチキ(二本箸)で、ここはシャリが堅めなのがいいところです。あとトイレの個室内に便器が二つある。

http://planetsushi.ru/

http://dvepalochki.ru/

南青山一丁目

長らく書けていなかった。今も書ける気はしないが、書いておこう。書ける限りで。

本業で書けないのは怠惰ゆえだろうが、こちらはむしろ安定期に入ったからこそ書けないことがあるように思う。寿司との関係の安定。安定したがゆえに意識しなくなる。恋愛然り。そうであるとすれば、意識しないのは幸せなことなんだろうが、とはいえそれでいいのだろうかと悩んでしまう。それが幸せなのだとしたら、どうすればいい。幸せのために幸せが見えない時にはどうすればいい。

そこで映画だ。ひとつの手段として。同じような話を手を変え品を変え。よく飽きないものだ。飽きているから飽きない。この構造を使うしかない。そして映画は見るだけのものではないはずだ。で、あれば、寿司の風景が映画であってもいい。あるべきだ。あろう。そうだろう。であれば。

映画がデートの代名詞になっていることが理解できない。正確に言えば、「映画は苦労せず時間がつぶれるし、終わった後にそれについて話せばいいから楽」などと書かれることが不可解でならない。見終わった後には全くもって話したくない。なるべくなら映画について話さずに雑談していたい。この手の、「話してはいけない」という強迫観念めいた命令をしばしば感じる。「話してはいけない」を共有したことはないように思う。人と映画を見に行きたくないという話ではない。

ミュシャと彌生を同時開催するのはいかがなものか、ネタにネタを重ねるようなものだ。彌生を無視して、ミュシャの人混みをサーフして南青山へ。銀座ウエストは超満員、手前のフレンチという気分と懐具合でもない。脇道に入るとまさに昭和という風貌の寿司屋が目に入る。逡巡し、「餃子600円」という看板の矢印に従って歩いても何も発見できず、意を決して入ることにする。表からは想像できないほどモダンな内装。手頃な価格設定にも関わらず想像を上回ってくれる味。かわいらしいアサヒのおまけビールで記憶が他と区別され。店の向かいには今月出来たという服とアートのこじんまりしたギャラリー。北欧の陶磁器。内輪の会話。霊園と火葬場。刑務所にしか見えない議員宿舎。彌生の顔。

映画を5本借りてきた。

https://tabelog.com/tokyo/A1307/A130701/13001184/

クリオネが出てこなくても

研究計画書が書けない。それはともかく、非寿司記事もうまく書けない。とにかく筆が乗らなかった。この反省を生かし、半寿司半非寿司のハイブリッドではどうかということになった(頭の中で)。今回は、日常的な話題に寿司を織り込んでいくスタイルでやってみようと思う。 

 ご存知の通り、寿司マフィアの拠点はかなり立地のいいところにある。しかし、ここのところオリンピックまでに引っ越すという案が出ている。だがここからどこへ行くというのか。正直な話どこに行っても満足できない気がしている。コチンニヴァースから離れるのも悲しいし。

コチンニヴァースにヒントを得て、むしろおいしい店がある街に住めばいいのでは?という閃きがあった。そこで、食べログ先生のランキングを見ながら、住んでもいいと思える街を探していきたいと思う。

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ここまで、下書きに書いてあった。なぜ中断したのかを思い出す。食べログのランキングを見ていたら果てしない作業に辟易してやめたんだった。もっと気軽に、気軽に書かないと。ところで今われわれは、土地×人文学がテーマの同人誌『府中』を計画中なわけですが(執筆者募集中です)、そうと決まればやはり府中の寿司について書かないわけにはいかない。だが、寿司よ申し訳ない、府中の寿司についてはあまり知るところがないのだった。ひとつだけ言えるのは東寿司は素晴らしいということ。庶民的な、コスパのいい、雰囲気のある店として。

https://tabelog.com/tokyo/A1326/A132602/13072012/

というわけで府中からも離れて。ほんとに何を書けばいいんだろう。とりあえず直近で言えば、新宿の寿司屋でクリオネが出てきた。何を言っているかわからないと思うが、クリオネが出てきたんです。その時お邪魔したのは新宿西口にある「寿司辰」。よく行く店なのだが、ここ最近は立て続けに面白いイベントが起きる店と化している。前回は、ちょっと頭のねじが外れたようなチンピラボーイが絡んできた。「金ならあるから好きなの食えよ!オラ、喰いたいんだろ!」と言われ(食べなかった気がする)、その態度に大将がお怒りになって、「若い時から真面目に生きないとダメだぞバカ野郎」とちょっとした喧嘩になった。横にいたおじさんは「わかるよ、俺も若いときは粋がってた」と謎の仲介をし、寿司マフィアは傍観していた。

そして今回はクリオネが出てきた。といっても、最初はシラウオだったのだけど。タッパーに入って蠢いているシラウオが話題になって、せっかくだから踊り食いをしようと提案された。生物を殺して喰らう歯ごたえを楽しんだ後、大将がドンとカウンターの上にビンを置く。そこにクリオネが数匹入っている。隣のお姉さんと一緒になってはしゃぐ。シラウオは大きくなるとクリオネになる。透明な体にピンク色の臓物。32歳のお姉さんは函館出身だった。隣の店は体操のお兄さんが経営しているらしい。

https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13047204/

もちろんクリオネは出てこなくていい。しかし通うことの意味もあるんだなと再認識した。街の寿司屋に、通わせてくれ。引っ越し先候補の一つである十条であれば、たとえばこんな。

https://tabelog.com/tokyo/A1323/A132304/13103656/

ひとつひとつの寿司を大事にして、細やかに描いていくしかない。寿司から寿司へ、線を引け。おこのみで。

寿司サウナで健康になるための

弱点がある。あるいは未発達の部分。

この間友達と寿司の話をしていたとき、なにげなく「稲荷寿司はどうなの?」と聞かれ、言葉に詰まってしまった。日ごろヘラヘラしながら生きているが、寿司については噓をつきたくない。正直に言った、稲荷寿司(とガリ)が実は苦手なんだと。それが自分にとっての鬼門なんだと。結局のところ稲荷寿司は、ほとんど毎回どこかで触れている「甘い寿司」のひとつだ。いつかは決着をつけないといけない。だがやつを否定することは、そのまま自分を否定することにつながってしまう予感がしていた。

バレンタインには肉寿司をもらいたい。肉寿司は認められる気がする。魚でない寿司があってもいいだろう。では油揚げは。油揚げを認めることができないのか。それとも甘めのシャリを認めることができないのか。本当にそれでいいのだろうか。甘さこそが今の自分の寿司道に立ちふさがる課題だと思った。屹立するマッターホルンのような鋭さの寿司と、全てを包み込む南の海のような寿司。甘さに、温かさに、抱かれることを怖れているのではないか。甘い寿司を受け止めないことには人間関係も前に進めない。そう直感していた。

銀座にある吉宗(よっそう)は、1866年創業の長崎の郷土料理屋です。ちゃんぽんや皿うどん、それに鯨料理などを出していますが、創業当時から続く看板メニューは茶碗蒸しと蒸し寿司を、同じ大きさの二つの茶碗に入れた「夫婦蒸し」。蒸し寿司にのっているのはあなごのかば焼き、海老おぼろ、錦糸卵です。

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茶碗蒸しについては特に申し上げることはありません。茶碗蒸し、わりと苦手なんですよね。ただ色々な具(たしか10種類)が入っていてそれはよかったと思います。ほとんどスープみたいなものでした。

さて、蒸し寿司。いつものように、密林とか四海同胞とか、そういうイメージは湧いてきませんでしたが、際立った驚きがないにも関わらず、箸は進む。気付いた時には手遅れになっているマフィアの手法のように、穏やかな味わいがありました。もしかしたらそれもまた幸せの形なのかもしれない。満面の笑みにならずとも共存はできる、受け入れではなく受け止め、そのような、対峙のあり方で。酢は蒸すことで柔らかい味わいに変化するそうです。蒸し寿司の柔らかさと接することで、屹立する寿司に接する際の味わいもまた変化することと思われます。〆ではなく蒸し。この知見を活かしていけるような人生を歩みたい。

https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13002651/

光をみすえる鬼

悩んでいた。こんなくだらないことを書いていていいのか。完全に時間の無駄遣いではないのか。ただ、自分が一番書きたいのは間違いなく寿司についてなのだから、それを抑制してもしょうがないような気がした。

早川光はいったいどれほどのモチベーションで寿司と向き合い続けてきたんだろう。早川光というのは有名な寿司太郎なんですが、今調べていたら彼は映画監督であり漫画原作者なんですね、知らなかった……。何気に筒井康隆の作品を映画化していたり、寿司マフィアが30秒くらい話したことのある巻上公一を撮っていたりと、予想外に興味を惹かれる映画監督としての経歴でした。さらに、寿司マフィアの好きな漫画のひとつ『私は利休』の原作者でもあった。マジかよ、光!しかも光が生まれた街は寿司マフィアが大学の時に使っていた駅の隣町である。光、意味不明な寿司おじさんだと思ってたけどめっちゃいい仕事してたんだな。ごめんよ光、待っててくれ光。

ただね、光の寿司道、それはもう利休の茶道のように高みにあるとは思うんですが、それとは違う可能性を見てみたい。ていうか光が食ってる寿司だいたい高くて食べられないしさ。もうちょっとカジュアルな、それでいて寿司を導いていけるような寿司道を歩きたいわけです。茨の道かもしれない。それでもなお。

というわけで今日の寿司は、五島列島の鬼鯖鮨です。強い名前ですね。サバって飛ぶのかな。

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普通の鯖棒寿司とは違って、かなり浅く〆てあり、ほとんど生のような味わいです。

おいしいですね。この鬼鯖のイメージ画のせいか、海をね、飛び跳ねている何かを感じます。海を飛び跳ねるエネルギー。たとえて言えばFF10ティーダが海面に浮きあがってワッカを眺めるときのような。この瑞々しさは強く〆た鯖ではなかなか感じられない。さっぱりした瑞々しさランキングで言えばかなり高いほうかもしれません。ちなみにねっとりした瑞々しさランキングの1位はちゃんとした赤貝です。

ただ疑問もある。あまりにも爽やかすぎるのではないか。あまりにも薄すぎるのではないか。そう、人がナチュラルメイクの達人を見たときに感じるあの不穏さです。むしろある程度濃くしてくれたほうが安心できる(ときがある)(わたしだけですか?)。鬼鯖鮨はある意味で「うまく食べこなす」ことが難しい寿司だと感じました。ナチュラルメイクを食べこなしてるわけではないです。つまり、極端な寿司だということです。それは悪いことでは全くなく、鯖棒寿司界のひとつの極であるという名誉なのですが、とはいえ寿司の食べこなしという観点から言えばなかなか扱いにくい代物ではある。常に一定程度〆た鯖のことが頭をよぎるわけですね。

とはいえ、これは次につながるということでもある。次は強く〆た鯖を食べればいい。〆鯖の永久機関が出来上がるわけです。もちろんそれは冗談ですが(このブログはどこからどこまでが冗談なのかわかりにくいですね)、寿司の食べこなしという意味では、鬼鯖は強く主張する武器になり得る。鬼鯖は鬼鯖だけでは完成しないってことですね。他の寿司との連関の下にある。これを忘れてはいけないと思いました。服のコーディネートみたいなものです。

こうしてみると、寿司マフィアの最初の寿司コーデは完全に間違っていました。

小さいころ、寿司マフィアは静岡の寿司屋でなぜかシャコを注文し続け、祖父にたしなめられる子どもでした。今考えるとめちゃくちゃ嫌なガキですよね。まあそれはともかく、シャコを食べ続けるのは全身金ピカ太郎くらいやばい食べこなしなわけです。完全に道を踏み外している。マフィアどころかただの鉄砲玉です。一方で、サーモンやマグロだけ食べるというのもどうにも味気ない。万年ポロシャツ太郎やスーツばっかり太郎のような感じがしますね。他を知った上で組み合わせるには素晴らしいのですが、どうにもそれだけではよろしくない。当たり前のことですが、寿司コーデとなるとこうした考え方は忘れられがちな気がします。念のため言っておきますが、これはおまかせとか、あるいはどういう順番で寿司を食べたらいいのかとか、そういう話にとどまることではありません。生きていくうえでどのタイミングでどういった寿司を、どういったネタを、どのように味わうか。鬼鯖はあなたの人生のどこに位置するべきなのか。五島列島の正確な位置と同じくらい、それをちゃんと考えられる人は少ないはずです。鬼鯖のような寿司の「外し方」、次はどこで味わうでしょうか。外してばっかりでもあれですけどね。

八丈島シックスハンドレッド

人生で幸せだと明言できる瞬間はどのくらいあっただろうか。幸せを探るため、我々は谷根千の奥地へ向かった――。

 

というわけで今回お邪魔したのは根津神社の近くにある「ことぶき」というお店です。なんでもここでは八丈島の郷土料理である島寿司がいただけるとのこと。島寿司、恥ずかしながら全く知りませんでした。いや名前くらいは聞いたことがあるものの、ろくにチェックすることもなく、自分の人生と関わることがないと思っていた。甘かったですね。未知の寿司、食わずにはいられない。その気持ちを新たにしました。

 

店内の写真は撮ってないですが、趣のある細道にあるこじんまりとしたかわいらしいお店でしたね。愛想のいい夫婦が迎えてくれます。メニューを見るとまず値段に驚きます。600円。600円ですね。牛丼で言えばちょっとトッピングを付けた大盛くらいの値段。新宿西口にあるまぐろ丼のてらだやで言えば普通のまぐろ丼(500円)からちょっとグレードアップした(とはいうものの普通のまぐろ丼のほうがおいしい)丼を選んだ時の値段ですね。丼のことはいい。ああでも「ことぶき」にも丼があって、なにか、なんだっけな、なんとか丼がありました。名前が思い出せない。それも600円。

 

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とにかく。

島寿司というのはまぐろのヅケに甘いシャリを合わせた、少々大き目の寿司のことのようだ。甘い寿司。いや甘い寿司ってことは事前調査で知ってたんですよ。甘い寿司。ただ、前の記事も読んだ方ならわかると思うんですが、ここ数日の寿司マフィアにとって甘い寿司といえば「たのしいおすしやさん」を意味していた。ねるねるねるねのところが出している、寿司に擬態したお菓子のことですね。

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はい。ポッピンクッキン。

この、グレープ味だから少し色が似ているのかなと思わせるまぐろの写真と、目の前に出てきた島寿司が脳内でドッキングしてしまって、ギャングスタな甘味を想像してしまっていたんですね。よみがえるロシアで食べたマンゴー入りロール寿司のギャングスタ

はい。食べました。実際甘かったです。アマ、さ.........? と甘さを認識してこれギャングスタかなと思った瞬間、上のヅケの濃いめの味が響いてくる。軽さを演出しておきながらしっかりした振る舞いが垣間見える――そんなん、惚れてまうがな……逆じゃないことが大事……ヅケの重みで殴られる……。

そう、江戸前でおなじみのシャリとネタの融和ではなく、コントラストによって舌をおどらせていく。島の戦略は一味違いました。密林に突如現れるハンプティダンプティ並みのインパクトがある。我々は迷っている。島で。この食の密林で。もちろん答えはない。ないが、あの卵の衝撃は忘れられない。幼心に刻み付けられる奇人の思い出――(途中から小さいころに見たアリスのアニメの記憶が入ってました)。

そうそう、卵焼きもおいしかったです。卵焼き以外もね、サラダも煮物も一品一品がぜんぶおいしい。これで600円。600円のゲシュタルト崩壊ですね。しかも食べていたら途中で「サービスです」と言って巻物や甘味が追加されました。甘味というのは撮り忘れましたがきなこクッキーと甘く煮た豆です。

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この巻物がね…やはりおいしい。おいしい。600円?悪いことをしてるような気になってきますね。いいのかな…。

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はい。こちらは島寿司の本流ではないのかもしれないですが、サバを大根で覆ったものですね。こちらも600円。同じくいろいろついてきます。

大根がある分まぐろよりもコントラストが強烈だったかもしれません。

いわば辛さと甘さのマッチングアプリ。めぐりあっちゃったね。

600円は安すぎるだろと思ってきなこクッキーを買って帰りました。

それも200円だったけど。巡り会いたい方におすすめの島寿司でした。

https://tabelog.com/tokyo/A1311/A131106/13178928/

寿司の唯名論、あるいは赦しについて

 どこからどこまでが寿司なのか、われわれはどの寿司からどの寿司へ向かうのか――そんな問いを、考えざるを得ない夜がある。やれたかも委員会があるように、あれも寿司だったのかも委員会が、あるのだろうか。ある世界もあるだろう。なければ作ろう、今日この夜に。

 というわけで寿司ブログの第三回は、寿司の唯名論について。カリフォルニアロールは寿司なのか否か、つまり寿司という言葉の適用範囲はしばしば問われてきました。多くの場合、答えは否です。「こんなものは寿司ではない」、そういう気持ちを感じたことのある方もいらっしゃるかもしれません。というか、そういった声はよく聞こえてきますよね。私は基本的には多くの寿司を許容していきたいのですが、デザート寿司のような甘い味付けのものは寿司として味わうのを躊躇してしまうことも事実です。たのしいおすしやさんとか。じゃあ寿司っていったい何なのか。

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(たのしいおすしやさん、ねるねるねるねのところが出してるんですね。全然関係ないですが私が愛着を持つ人はなぜ知育菓子を好きなんだろう。ちなみにこの間友人の小説が入った雑誌をツル知育研究東海というショップから取り寄せました。さまざまな知見で知育を研究したいですね。東海)

 寿司ってなんなの。この問いかけに、義経千本桜を引き合いに出すような輩は張り倒しましょう。確かに江戸前ではなく馴れずしを参照しようとする気持ちはわかりますし、鮎寿司が古くに記録されているのは非常に興味深いことではあります。ただ、寿司マフィア協会では、寿司の本流を定めるような発言は禁止されています。個別具体的なそれぞれの寿司を見出していこうという姿勢なわけです。

 とはいっても、あくまでもたのしいおすしやさんを寿司であると言い切るような、寿司錬金術を目指しているわけではありません。たのしいおすしやさんは寿司かもしれないけれども、それを寿司だと言い切れる寿司聖人はひどくまれであると言わざるを得ない。寿司マフィアには仏教の流れも入っていますから、無理にたのしいおすしやさんを寿司だと言い切るような修行も認められていません。寿司マフィアがなんだかわからなくなってきましたね。

 これはそんなに冗談で言ってるわけではなくて、たとえば他のジャンルのごはん(和食、パスタ、あるいはお菓子でも)を食べたときに、ごくまれに「これは寿司だ」というメッセージが脳内に流れることがあります。もちろんそれは、食材の化学反応や職人の技が寿司を想起させるだけなんでしょう。とはいえ私が感じる世界においては、それは個別具体的な寿司として受け止められるんです。

 「これは寿司ではない」が生み出す悲しみの世界と、「これは寿司だ」が生み出す(狂気をはらんでいるかもしれないが)許しの世界。サイケデリックな幻想に過ぎないとしても、私は後者の温かさを守っていきたいと思っています。今は海鮮三崎港になってしまった高田馬場の回転寿司で、こう書かれていたことを思い出します。「シャリは人肌の温度です」。